人の世は、滞在期間の定め無き、今日一日の旅の宿

 時 人を待たず、光陰 惜しむべし
 古より有道の人、国城 男女 七宝 百物を 惜しまず
 唯 光陰のみ、之を惜しむ

因果一如の門

2017-04-20 | 日記


      『生死』道元 
「生死の中に佛あれば生死なし、また曰く、
 生死の中に佛なければ、生死に惑わず。」

生死と一つの処は、生死を認める者が無い。

生死を認める者が無い処は、生死に惑わず。

見る主体と客体が一つの処は、認識到らず。

未だ対象を認めぬ処は、認識する我もない。

仏性は認識以前の処ゆえ、主体客体が未分。

感覚には感覚者が無く、一切は不二である。

認識には認識者が在り、彼と此を分別する。

法は未だ認識到らぬ、我と事実の同時成道。

右が滅して左を生じ、左が滅して右を生ず。

「い」が滅し「ま」を生ず、今は一時の位。

一切の生じ滅す処に二元なく、生滅は一如。

生滅の始めを知らず、生滅の終りを知らず。

生滅と一つの処に生滅は無く、不生、不滅。

生に在り生を認めず、滅に在り滅を認めず。

認識未だ到らぬ処ゆえ、生死を知る者なし。

法は因果一如の、未だ認識到らぬ本来面目。

一得一失の対を絶す処ゆえ、二見が立たず。

対象を認める時を同じく、認める我を生ず。

彼と此の狭間に、時間と空間の幻想が宿る。

分別が二つを隔て、比較が時空を虚構する。

二見は、記憶に住する我の念処にのみ立つ。

事実は常に一時の位に在り、我は未だ不生。

神羅万象と不二ゆえ、因果一如の同時成道。

因果一如に、只今、本日、一生の別は無い。

今日の縁: 「 日面仏、月面仏 」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~zuiun/133shouji.html