わがなしし 罪の山をぞ 清めむと ひたと働く まことなる人
*相変わらず不調ですが、週に一つくらいは詠めるようです。これもひねりがなく、棒のようにまっすぐな一筋ですが、内容からすれば、これでいいのかもしれません。
「ひたと」は「ひたすら」とか「いちずに」とかいう意味の古語です。
人間は、自分がつらかった迷いの時代に、あらゆる苦い罪を犯してきました。人を盗み神を盗み、自分だけの幸福の牙城を永遠に築くために、あらゆる馬鹿なことをしてきた。その罪の山はあまりに高く、人を恐れ惑わせるものです。こんな大きな罪の山を支払えるはずがないと、逃げる人も多いのです。
ですが、本当の自分に目覚めた人は、正直にまっすぐに、それを償ってゆくのです。それが自分にできることだと、わかるからです。自分は何もできない馬鹿なものではない、あらゆることができるすばらしいものだと、わかっているからです。
美しい自分自身の真心で、すべてを愛のためにやってゆくとき、大きな罪の山も、恐れるものではない。愛である自分自身さえあれば、やっていくことのできる課題なのです。そしてそのやっていくことそのものが、すばらしい幸福になる。
自分自身が、すばらしいものだからです。明るい心で、まっすぐに償ってゆく自分が、まことに美しいからです。
そのすばらしい自分自身さえあれば、どんなこともやっていける。迷いの時代には暗くふさがっていた未来が、美しく開けてくる。
本当の自分は、まことにすばらしいものなのです。