砂の風 鳴き渡る空 あふぎつつ ひとりを抱く とこしへの夢
*今週は四首ほど詠めましたか。この頃ではよい方ですね。馬鹿に妨害されつつも、動かない感性をフル稼働してなんとかしている。できあがりはあまり気に入りませんが、今のこの調子の中では、自分をほめてあげてもいいでしょう。がんばっていると。
さて、わたしたちがシジフォシアと名付けた世界は、何もないところです。砂の大地がどこまでも広がり、日月も星もない薄闇の空がそれを覆っている。水もなく、もちろん草木もなく、生き物は何もいない。乾いた風ばかりが吹く、むなしい世界。ファンタジーではないのですよ。そういう世界は本当にあるのです。
繰り返し言っていることですが、今この時代で、愛を愚弄することをやめなかった人間は、人類世界をはじき出され、そこにいくのです。
永遠に帰っては来れない。
そこには地獄のような責め苦はありません。だが地獄よりもつらいところだ。何もない砂と風の世界で、虚無のように何もせず、永遠にぼんやりとしていなければならない。何かをしようにも、そこには何もないのです。小枝の一本でもあれば、絵を描くことくらいできるのですが、それもない。砂は乾いていて、固めようにもすぐに崩れていく。何もできない。愛が何もないのだ。
薄闇の中に広がる、永遠の徒労と疲労の世界。それがシジフォシア。
そこに行きたくないのなら、人間は愛を愚弄することをやめ、悔い改めて神にも傷つけ続けてきた人々にも謝り、正直な自分に戻って、何もかもをやり直さねばなりません。それは時に、痛い破滅を伴う苦しい修行です。人を盗み神を盗み、作り上げてきた偽物の幸福を、全部壊さねばならない。高殿に住む貴人の身分から、一気に貧乏人に落ちるほどの、試練を食わなければならないのです。
馬鹿な人間たちは、自分のことだけ考えて、いつでも他人を虐げてきた。他人の幸福を盗み、自分ばかりよいことにして、この世に苦悩と不幸をまき散らしてきた。そのことの責任を取らなければならない。
この世を地獄に染めてきた責任として、永遠の寒い地獄に落ちるか、それとも悔い改めて、愛に謝罪し、すべての人々に仕えて償っていくと誓うか。
砂の風が鳴き渡る、薄闇の空を見上げながら、永遠に孤独を抱いて生きていく夢の中に、自分を捨ててしまうのか。それとも。
すべては、人間の心にかかっています。