あまつ日の 光るおほぞら ひたひあげ 呼ぶ神を知る 自由の翼
*事情があって一週飛びました。妨害があって、パソコンが使えなかったのです。わたしたちのこの活動には、いろんなものがとりついていましてね、時にはその中で深く迷っているものが、あからさまな邪魔をするものですから。
でもまあ、パソコンもなんとかなったことだし、今週はやりましょう。表題の作は解脱を遂げた人の心を詠んだものです。解脱をした人ならこの感覚がわかる。太陽が光る大空に額をあげて見上げると、そこに神の呼ぶ声を知る、自分には、そこに飛び込んでいける自由の翼がある。
それをそのまま詠んだかたちで、あまり解説の必要もないような歌ですね。
実は「呼ぶ神を知る」のところを、「飛ぶ我を知る」というのに変えてみたらという意見もありました。そうすれば、全体的に意味が整う。
あまつ日の 光るおほぞら ひたひあげ 飛ぶ我を知る 自由の翼
なかなかにこれもいい。けれども、呼ぶ神を知る、のほうが、より大きな愛の世界とのつながりを感じて、よいと思い、表題の方を選びました。
確かに解脱を遂げて、自分をつかめば、神の空に自由に飛んでいける自分の翼を発見する。神が呼んでいるその声に、焦るほど飛んでいきたくなる。呼ぶ神の胸の中に飛び込み、神の中に溶けていくかのような幸福を感じ、すべてを愛のためにやっていきたくなる。
自分は、美しいこの世界で、自由に自分を表現していくことで、自分なりの愛の形を投げかけてゆくことができる。なんとすばらしいことだろう。
光る太陽とは、自ら光りだした自己存在の隠喩です。自分に目覚めたとき、人は自らが発する光の中で世界を再発見し、そこに愛を投げかけていける自分の、自由のすばらしさをも発見するのです。