越えがたき 山の彼方に ある月の おもてを盗む 馬鹿者の闇
*これは昨日詠んだものです。最後の七が、ちょっとぶら下がっているようですが、意味は通りますね。
越えがたい山の彼方に光っている月の、顔を盗んで自分に飾る、馬鹿者の心の闇とはなんであろう。
月にたとえられているのは、もちろんあの美しい人です。嘘ばかりが繁栄しているこの世界の逆風の中を、傷だらけになりながら、愛にまっすぐに生きて、ついに救いをなしとげた、かのじょのことです。説明せずともわかるでしょうが、一応細かいことを押さえておくのが、ここでのやり方です。
かのじょの心は高い空にあった。自分の人生とある限りの力を、この世の救い、人類の救いのために注いでいた。夢は、すべての人類の魂を救い、新たな次の時代に導くことだった。
そんなかのじょの、すばらしく高い心も知らず、馬鹿な人たちはかのじょの美しさに目がくらんで、簡単にそのかたちを盗むようなことをするのだ。馬鹿の考えていることは、あのように美しくなれば、男がみんな寄ってきて、自分のために何でもしてくれるのだとか、そういうことだ。動物的エゴにまみれて、まるで自分のことしか考えられないような馬鹿が、崇高なほど高く澄んだ心で、人類のすべてを救おうとしていた人のかたちを盗んでいる。
馬鹿というものは、何もわからない。月がただきれいなだけのものだとしか思えない。あれが美しいのは、愛のために、長い長い年月を、あまりに高い努力をしてきたからなのだということを、軽く無視して、簡単にかたちだけ上手に真似をする。
それですべてが馬鹿になる。かたちは天使のように美しいのに、目つきや表情に低いレヴェルの魂が見えて、とても臭い美人ができあがる。嘘なのだ、あれらは。盗んだ美貌を餌に、人の魂を食おうとしている、いやらしい馬鹿なのだ。
人の美貌を盗んで自分に飾り付け、それで人をだまそうとしている限り、馬鹿者は汚い嘘であり続ける。そんなものに自分を落としていることが、どんなに愚かなことであるかさえ、馬鹿にはわからない。
わからない。何もわからない。魂の勉強を怠ってきた馬鹿者の闇は、あまりにも深いものなのです。