低きより またやり直す 切り株の 細きひこばえ いとほしきかな
*これはツイッターに発表したものではありません。タイッツーというね、何か冗談みたいな新しいSNSに発表したものです。
いつまでも同じことばかり繰り返すのは、わたしたちもつらいので、少し新しいことを始めてみたいと思い、参加したのですが、なかなか楽しいですよ。ここを起点に、何かが発展していくといいですね。
表題の歌は、いつもお参りしている神社の境内にある、楠の木の切り株を見ながら思いつきました。写真の切り株がそうです。この木も、もとは相当に高い、すばらしい樹勢をもった木だったのですがね、ある日無情に伐られてしまいました。
こんなことをされてしまったら、もう生きるのをあきらめて枯れてしまってもおかしくはないのに、木はまだあきらめていないようです。まだ生きようとしている。小さなひこばえをいくつも出している。
それが美しくて、表題のような作を作ったのです。
かつてすばらしく高かったものが、低いところからまたやり直すために、小さなことをこつこつと始めている。
しかしせっかく出したひこばえも、何度も摘まれて、丸裸にされるのです。でも木はそれでもあきらめずに、また細い緑を出している。
伐られても、摘まれても、まだ生きることをあきらめていない。そんな木がいとおしいのは、わたしたちも、何度も無情な世間の風に滅ぼされたことがあるからでしょう。そして何度もやり直してきた。
できるなら、このまま静かに見守ってやりたい。でも無情な人間世界は、彼が生きていこうとするのを、どうしても阻むのです。