ぬばたまの 暗闇にすむ たましひの あくがれまよふ みつかひの夢
*今週はいくつか詠めました。なかなかキレのいい作品ができませんが、今の状態ではまだましなほうでしょう。しつこい妨害の中で、自分流の歌を詠むのは苦しいが、なんとかやっていくより仕方がありません。
さて、表題の作は、かのじょの真似をして美人になりたがる馬鹿女について詠んだものです。暗闇に住む魂とは、自分の勉強ができていなくて、いまだに自分と他人の区別もつかないような、無知の闇にいる魂のことを表します。そんな魂を持つ人は、他にきれいな美人を見るだけで、その人の美貌を欲しがり、その人そのものになりたいとさえ思うのです。
人間に限らず、自分というものは、自分以外のものには決してなれません。しかし馬鹿というものはその理屈をどうしても理解しようとしない。自分というものを嫌がり、自分と他人の境界を越えて、あっちの美人になりたい、あっちのいい自分になりたいと思う。そしてそのためにあらゆる汚いこいとをしてしまう。それでどんどん自分が汚くなり、一層自分が嫌になり、またあっちのきれいな人になりたいと思う。
そういう矛盾の繰り返しの中で、あえぎ苦しんでいるのが、馬鹿というものなのです。
本当の自分を捨てて、他のきれいな自分になりたいなどということは、自分の責任から逃げようとする、とてもずるい生き方です。服を着替えるような軽い気持ちで、他人の自分を盗み、それになることで、本来の自分の罪や陰から、永遠に逃げようとすることだからです。そんな生き方をする人が美しいわけがない。
馬鹿は自分から逃げようとすればするほど、醜くなっていく。そしてまた他人の美貌を欲しがる。他人の存在を欲しがるのです。
その矛盾の苦しみから逃れるためには、もう本当の自分に戻るしかないのです。本当の自分の罪も陰も、すべて受け入れ、正しく自分をやり直していく。それができれば、人は美しい存在になることができるのです。
だが馬鹿というものは、なかなかそっちに来ない。どうしてもあの美人になりたいのだと言って、どんどん矛盾の闇に迷い込んでいく。
そしてとうとう本当の自分を壊し、永遠に人間を失う。
馬鹿の極みというものです。