人ならぬ ものと落ちしも 清き身と なりておのれを みづからつくる
*このところ、少し調子が出てきたように思います。馬鹿の妨害はまだあるのですがね、それも少し緩んできたようだ。彼らも少しはわかってきたのでしょう。下手な妨害をするよりは、愛に従い、解脱して自分をやり直したほうがずっと得なのだと。
それはそれとして、表題の作は、人間を落ちてしまったもののために詠んだものです。
この時代、馬鹿なことをやりすぎて、自分の霊魂を壊してしまい、人間を落ちてしまったものがたくさん出ました。X(旧ツイッター)のほうで、大火が口を酸っぱくしてやるなと言い続けているのに、馬鹿は天使の真似をして、人間を落ちてしまう。情けないくらい、そんな馬鹿がたくさんいるのです。
人間を落ちてしまったら、もう二度と人間に戻ることはできません。壊れた霊魂は元には戻らないのです。ですからそのものは、永遠に壊れた自分を抱えて生きていかねばなりません。
神が創ってくださった自分を壊してしまったら、もう神が用意してくださっていた人間の未来に赴くことはできません。彼らは人間とは全く別の道を進みます。それは厳しい道だ。将来自分が何になるのかを、自分で創造しなくてはならない。
ですがそれはできないことではない。至難の道ですが、解脱して自分の目覚め、みなの幸福のためにすばらしくよいことをしていけば、新たな自分を創ってゆくことができる。
自己存在というものの中には、決して壊れない黄金の愛の真実があるのです。自分の中に、すばらしい愛の塊があり、それは決して壊れない。その愛を頼りに、すばらしい自分をやっていけばいい。
導きはあります。霊魂が壊れたものでも、愛に目覚め、すべてをやり直していくと誓うものは、なんとかなる。
希望を見失わず、自分を創造していきましょう。それは今までだれ一人として進んだことのない、新たな道だ。