昔の人は、本当に、よく言ったものである。「名は体を表す」と、「名はそのものの実体を表している。名と実は相応ずる。」と、然るに、現代では、その名を聞いたり、見たりしても、よく、その実が、判明しないモノが、極めて、多いような気がする。中でも、子供の名前などは、漢字自身から、読めないモノが多い。失礼に当たるから、恐る恐る、再確認の為に、尋ねることにしている。ふりがなでも、つけておいてくれないと、分からないので、困ってしまう。とりわけ、芸能人、タレントと称する業界では、全く、名前を聞いただけでは、一体、何物なのかと、想像だにすら出来ない人物が多い。源氏名、芸名、愛称、ニック・ネーム、通称、俗称、一体、「どこに、本当の姿が、隠されているのだろうか?」、もっとも、最近では、お姉系と称する露出が、多すぎて、男なのか、女なのかも、識別不能な人物が、多くなってきているから、名前だけでは、その実が、相応しているとは限らないものなのだろうか?根本的に、物事の本質を見極める基準も、今や、よく、考え直してみないとならない時代なのかも知れない。そこにあるべき物は、本当に、あるべき物なのか?何か、深遠な禅問答のようなものにも感じられなくはない。物事の本質を見極めるのも、最近では、名前や名称すらも、不可思議な得体のし得ない物になり、訳が分からなくなってしまった。昔、一時、無国籍料理というものが、持てはやされたことがあったが、名前だけに、頼る時代ではないようである。モデルや、アーティストの名前を、聞く度に、副音声ではないが、字幕で、人物データ(Who’s WHO)でも表示して貰いたいものである。もっとも、そんなことをすると、神秘性というベールが、一瞬に、剥がされてしまうので、やはり、「名は体を表さない」ことの方が、メリットは、大きいのであろう。全く、うかうかすると、騙されることが多い世の中である。落語の「寿限無」ではないが、最近では、名前が長すぎて、正式名称を言えずに、何じゃら、ほにゃにゃらと、言われるタレントも、出てきたが、、、、、、。改めて、小林秀雄氏に、生きていたら、解説して貰うことを、切に、願う。そう思うのは、私一人だけであろうか?
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