議会も終わり、久々に映画を見てきました。
25年前に起きた“チェルノブイリ原発事故”(1986.4.26)から16年後に監督:マリアン・デレオさんが直接取材したドキメンタリー映画“チェルノブイリ・ハート”です。
チェルノブイリ原発事故の影響で生まれながらに心臓に重度の障がい(心房中隔欠損症)を持つ子供たちを映画のタイトルにしています。放射能汚染はそれだけではありません。水痘症や甲状腺がんが子どもたちを襲います。遺棄乳児院(ナンバーワン・ホーム)の病棟にはたくさんの知的障がいが入院していますが、助かる保障はないなかで、“いのち”が見捨てられるという、人間としての尊厳がなく、「生かされている」だけの子ども達の姿。看護する側も乱暴な扱い・・・がリアルに描き出され、ショックを受けました。「原発」推進共同体は、この映画を絶対に見るべきです。
この間、政府の姿勢には疑問だらけですネ。「東電・福島原発事故は収束?した」との政府発表がありましたが、誰が信用するでしょう。日増しに“原発ゼロ”の世論が高まっているなかで、どうしてベトナムに原発を輸出すると言えるのでしょう。国・環境省、そして東電の情報開示や補償対策を見ても何が正しい情報なのか?と疑問を持つのは当然の声です。
こうした政府の対応に過日、日本で最初に“原子力の火”を打ち出した東海村の村上達也村長が“廃炉宣言”を表明しました。背景には、国が言う“脱原発”、“減原発”が言葉だけで方向性が明らかでないとの判断があると思います。
東海村を視察したことがありますが、多額な交付金(俗に言う“あめ玉”)で人口規模が38.000人の村には、立派な公共施設・研究所などがたくさん建設されていたことを思い出します。原発依存から脱却できない(交付金目当てで)自治体が多いなかで、「お金(交付金)より、村民のいのちを守る」ことを選択した勇気ある行動だと思います。
私のメールボックスには、災害廃棄物(がれき)の受け入れに対する反対する投書が止まりません。何故、災害廃棄物(がれき)=「放射能物質」と決めつけているのか疑問です。市議会は全会派で「受け入れ」表明をしたと決めつけているようですが、正確には12月定例議会に千歳市民から提出された「放射性瓦れきの苫小牧市への持ち込みの拒否に関する」陳情が全会派一致で不採択になったものです。陳情のなかには、「放射性物質の拡散」、「子どもたちへの健康被害」、「農業・観光産業への風評被害」などが記載されていますが、そのことへの不安は当然の声です。だからと言って、災害廃棄物すべてを“拒否”することには賛同できません。被災地では復興・再建をめざして懸命に生活している方々がいます。陳情者の方々は「被災地で復興・再建している方々は“放射性瓦れき”のなかで生活していんだ!」と決めつけていることと同じ論法になります。どうすれば、復興支援出来るのか?国の責任を明確にさせめことが優先ではないでしょうか。