レトロの小部屋

紙物を中心に古物を集めています。

京都の繪葉書 明治大正

2024年07月21日 16時49分58秒 | 京都 滋賀の絵はがき

明治時代の絵葉書は薄い紙で出来ています。

京都市は最初上京区と下京区ではじまりました。

伏見 桓武天皇御陵

伏見 乃木神社鳥居

伏見 乃木神社

伏見 乃木静子夫人 浄魂神社

伏見 御香宮神社

東大谷

南禅寺山門

四条大橋 南座

岡崎公園公会堂

疎水インクライン

ここまでが封筒に入っていました。

他のインクラインの絵葉書です。

ここからは、袋はなく別のセットです。

伏見稲荷神社。

記念動物園

八坂神社

御室仁和寺

泉涌寺

南禅寺

黒谷本堂 浄土真宗西山派。

西大谷 浄土真宗本派本願寺。

東本願寺勅使門

東本願寺

大仏妙法院

豊国神社 豊臣秀吉を祀る

北野天満宮

五条大橋

ここまででセットが終わります。

五条大橋の絵葉書です。

名所の扱いは様々です。

菅原道真を祀る北野天満宮。

東山三十六峯の一つ、阿弥陀如来を祀る阿弥陀ヶ峰。

三十三間堂。

帝室博物館。(京都国立博物館)

東寺、正式には教王護国寺。

東本願寺山門。

知恩院。

西本願寺。

東大谷、東西本願寺の墓所。

嵐山渡月橋。

二条城。

保津川下り。

清水寺。

御所。

 

 

 

 


日本國憲法公布記念絵はがき

2024年06月17日 02時40分05秒 | 記念(紀念)絵はがき

昭和21年(1946年)12月27日逓信省発行。

拾五銭と印字されています。

袋の右端に日本繪葉書第一集とあるように、二集以降も予定されていましたが、このセットの価格が定価3圓は高すぎると不評でこの一集のみで終了しました。

逓信省も昭和24年(1949年)には解体される。


帝國議會議事堂記念繪葉書

2024年06月16日 02時21分53秒 | 記念(紀念)絵はがき

国会議事堂。
初代二代とわずかな間に焼失しました。
東京絵はがきに残る二代目です。

現在の国会議事堂は三代目になります。
議院建設本館正面 昭和7年6月と書かれた絵はがきです。
玄関前はまだ未完成ですが、絵はがきです。
東京土産としたのでしょうか、表側にわずかなメモが書かれています。

昭和11年11月竣功記念の絵はがきが発行されました。


東京の絵はがき

2024年06月13日 16時30分51秒 | 絵はがき

東京駅

手狭になった新橋駅に代わって三菱川原の湿地帯に建設されました。
右が乗車口、左が降車口。
中央は皇室専用で1914年(大正3年)12月20日営業開始されました。
昭和7年9月主婦の友者発行東京絵はがきです。

72枚と書かれていますが、あるのはこの一枚のみです。

ここからは「帝都名所」として大正時代中期に発行された絵はがきです。

丸ノ内東京停車場。

逓信省。

日比谷公園のツツジ。

隅田川と両国橋。
隅田川に架かる13橋の一つ、166年(万冶3年)より何度も流失し、1904年(明治37年)このトラス橋が架けられました。

明治神宮。

明治神宮御本殿。

四十七士の墓

赤穂の四十七士は高輪泉岳寺に葬られたと聞き及ぶ。
別のシリーズですがその泉岳寺の木像堂。

東京海上保険ビルデング。 ビルデングですって。

丸ノ内馬場先通り。

九段靖国神社。
戊辰戦争の戦没者を弔う目的で1869年(明治2年)6月29日建立され、1879年(明治12年)靖国神社となる。

芝増上寺山門。
此の山門は丹塗の巨大な物で慶長10年の建立にして、中に釈迦、文殊、普賢並びに16羅漢の像を安置してあり、至徳2年、徳川氏の菩提所となりました。

両国国技館。
本所の回向院から始まった相撲興行が変遷の後、発展して回向院近くに1909年(明治42年)造られました。

日本橋。
1911年(明治44年)架け替えられた。

須田町交差点。

京橋銀座通り。
徳川幕府の銀貨の金鋳造・発行所がありました。
銀座が1872年(明治5年)旧暦4月に焼失し、英人ウォートレスの設計でレンガ敷きの道路ができレンガ造りのビルが林立した。

同じような絵はがきがありました。

丸ノ内三菱銀行。

上野広小路より不忍池畔を望む。

上野公園及び西郷隆盛銅像。

上野公園内動物園。

丸ノ内ビルディング。ここはビルデングでは無い。
通称丸ビル、1923年(大正12年)関東大震災の直前に竣工。
一帯は陸軍から三菱に払い下げられて三菱が原と呼ばれました。
東京駅や丸ビル完成ビジネス街として発展しました。

浅草公園。

宮城前 楠正成銅像。

桜田門。

皇居二重橋。

帝国大学正門。

国会議事堂。
1881年(明治4年)10月12日、明治天皇議会開催詔。

経費不足で帝国議会の開設も切迫していました。
麹町区内幸町二丁目(千代田区霞が関二丁目)にドイツ人アドルフ・ステヒミューラーと吉井茂則設計で1890年(明治23年)12月24日竣工。
1891年(明治24年)1月24日漏電による出火で全焼。
同年、吉井とドイツ人オスカール・チーツェ設計で10月30日竣工。
関東大震災は無事だった。
これが、その二代目です。

ところが、1925年(大正14年)9月18日作業員の失火で焼失。

三代目、現在の国会議事堂。
議院建設本館正面。工事中の昭和7年(1932年)6月と書かれた絵はがきです。

昭和11年11月、帝国議会議事堂竣功記念絵はがきです。

ここからは別の絵はがきです。

歌舞伎座、明治時代。

三代目歌舞伎座 大正13年12月竣工。

帝国ホテル。

ライト式近代建築の美と書かれています。
愛知県犬山市の明治村に移築されています。

2015年(平成27年)4月 行きました。偶然50周年の明治村でした。帝国ホテルです。

1873年(明治6年)「万人偕楽地」として上野・浅草・芝・深川飛島山を公園に指定。
浅草は七区からなり、六区では興業飲食遊戯が許可され、生き人形、水芸、玉乗りなど行われた。
1884年(明治17年)区画と街区整備して「浅草公園六区」となる。

震災前の大東京
この絵はがきは震災の前年完成して、翌年被災した丸ビルの絵はがきらしいです。
八枚とあるが、七枚しか残っていません。

二枚続きです。

正面入り口内部

一階十字街白木屋付近。

エレベーター昇降口の雑踏。

大丸呉服店入り口。

地階至中央亭大食堂。

別の絵はがきです。

日本橋。

芝浦臨港線ハネアゲ端。

永代橋。

東洋一地下鉄道の内部の光景。
地下鉄は1915年郵便専用で始まりました。
1927年(昭和2年)浅草上野間22㎞で銀座線が開通しました。

十銭白銅を入れる自動式改札口。切符は要りません。
駅員の前の白い物にコインを投入するのだと説明しているのでしょうか。

十銭白銅、1円玉より小さいが重さはあります。

お召し列車。
大正13年1月27日 黒塗りの車体の中央に菊の御紋があります。
故郷の高校生の時、ただお一人直立不動でその御紋の前に立ち、ゆっくり走る車内から、国民生活を観ておられた昭和天皇のお姿。
放課後で「窓から、顔を出すな」とうるさく言う教師でした。

(60年来未曾有の大洪水)北千住方面家屋流失悲惨の極み陸上浸水6尺余。

 

 


郵便貯金50億円達成記念繪葉書

2024年06月04日 15時59分23秒 | 記念(紀念)絵はがき

昭和14年(1939年)7月 貯金局発行。

タトウ

鏑木清方 画

南 薫造 画

同 南 薫造 画

その後も70億、100億、達成毎に、記念絵はがきを発行しました。