1860年(万延元年)12月24日、芝赤坂のプロイセン国王行使邸で、来日中のドイツの伯爵が、アメリカの将軍やイギリスの行使を招いてクリスマスパーティーを行ないました。
3部屋の大広間の柱を杉の葉で覆って、色とりどりの砂糖菓子と50個あまりの提灯をぶら下げたツリーでした。
雉料理であったといいます。
1873年(明治6年)キリシタン放還令によってクリスマスが解禁されたと読んだ記憶があります。
ツリーに飾るオーナメントに提灯が使われていたのを記憶していた人が、大正時代になってオーナメントとイルミネーションが合体したものを作ったのでしょか。
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3コ足りません。
宗教に関係なく次第に庶民的になっていったクリスマス。
こちらの箱の絵は前の時代のイルミネーションを描いてあり、電球には色が塗ってあります。
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やはり着色した丸い電球です。
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電球の形が変わりました。
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こちらは高島屋3000円のシールが貼ったままです。
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息子に買ったのは1980年頃でしょうか?
ツリーとオーナメントとこのイルミネーションのセットでした。
当時は京都に住んでいて、リビングはいっぱいだったので、仏壇の横に飾っていました。
仏教も他所から来たんだし、お互い様ということに。
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まだ光ります。
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そして、足繁く縁日に通ううちに足りない分を発見しました。
ソケットとコードは無いかと尋ねました。
翌月の縁日に持参して「全部買ってや」と言いました。
光らなくてもいいんだからと、完成させました。
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コンセントの型やベークライトなどの材質、熱で溶けたもの、これはこれでおもしろい。
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サンタの顔は付けるところが足りませんが、入手しない手はありません。
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全員集合。
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