長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

いかにの茶碗

2017年06月11日 23時55分55秒 | 折々の情景
 あるとき私は、大切にし過ぎないように普段使いできて、でもそれなりに愛着のわく、デコラティブではないけど機能的な、かといってそれほど素っ気ないデザインではなく、そして飲みやすいよう碗口が薄手で取っ手の持ち具合もバランスのよくとれた、かつ今でいうコストパフォーマンスのある程度ある、コーヒー茶碗を探していた。
 たぶん、昭和60年前後のことだったと思う。
 世の中は景気がよかった。平日のまだ浅い午後だったか、そんな微妙な時間帯の郊外型量販店ではあったが、店内はハッピーライフな空気感に満ちていた。客はまばらであったが、品物は豊富にあって、上記のような様々な条件を満たす候補品にあふれかえっていた。日用品の茶碗売り場(大きく食器というのではなく、である)に、常の展示棚とは別に、畳一畳分ほどの平台が六つほども置かれていただろうか、その平台毎に物凄くたくさんの瀬戸物、陶磁器類が置かれていて、私はあれこれ…いま思えばなんという贅沢な時代だったか(と感じるほどに現日本は文化的に没落した)…迷っていた。
 
 そのときである。
 「…やだ! ボクはこれが欲しいの!!」
 白昼の平穏を切り裂く子どもの叫び。二つほど向こうの平台で、親子連れが争う声が聞こえた。
 茶碗売り場には、私と、三間ほども離れたその未就学児童である男の子とそのお母さん、堆く積まれた数知れぬ無言の茶碗の群れしかいなかった。
 自分の茶碗を探しながら、聴くとはなしにわが耳に飛び込んでくる親子の会話。
 「駄目よ、そんなの、全然子どもらしくないじゃない。子どもはこういうのを買うのよ」
 どうやらお母さんの推奨する茶碗が、その男の子の気に入らないらしかった。
 「やだ、そんなの! これがいいの!! このきれいなのが欲しいの!」

 そこまで主張するに値する、いったいどんな茶碗が欲しいというのだろう、遠目でちらと見たところ、極彩色で彩られた、どうやら九谷の茶碗らしかった。
 「ダメです、こっちから選びなさい! ほらこれとかいいじゃないの、キン肉マンがいるよ、○○ちゃん、好きじゃないの」
 北斗の拳だかドラゴンボールだか忘れたけれど、男の子のご贔屓のアニメキャラで釣ろうとするお母さんの懸命の説得をよそに、男の子は頑として、絶対これが欲しい、これでなきゃイヤだ!と泣き叫ぶ身の構えだ。

 あの頃は、たぶん子どもの茶碗が一つ300円ぐらいで買えた。プリント彩色だったとは思うが。
 九谷っぽい彩色や有田の普段使いなら1200円も出せば、結構素敵な茶碗も手に入ったように記憶している。
 たかが子どもの茶碗、されど、日常使う子どもの茶碗である。日に三度、目にし手にする茶碗である。

 際限なく繰り広げられるドメスティック修羅場の顛末を見届けることなく、私は気に入った茶碗が見つかったので、彼らが気になりつつもお勘定場へ去った。
 あの子は、自分が気に入った茶碗を買ってもらえたのだろうか。
 どんな大人に育ったのだろう、元気ならもう三十代半ばにはなっているはずである。

 …子ども向けのものとはいったいどうあるべきなのか、と、思いを廻らすたび、あの茶碗売り場の一情景を想い出す。

 そして、将来商売になるか、ご飯を食べてゆけるのか…とかそんな狭い目先のことじゃなく、深く生涯の心の愉しみ、一つの価値観を培っていく心の糧として、平生、伝統文化に触れてほしいものである。
コメント
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