長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

檸檬ちゃんはおこりん坊

2022年03月31日 22時30分37秒 | 趣味です。
 残された、名前は未だ無い三頭の越冬サナギの様子が気になります。
 ベランダの三株の檸檬樹のうち、今年は背の低いユーレカ種の枝に、家紋に例えれば四ツ目結い状に、四つのレモンが実りました。
 彼らが、陰になり日向になり…と言うよりも、正に陰をつくって陽射しを調整し、風雨から足下のサナギを護っていたのです。

 そんな心意気に打たれ(単にアゲハチョウが彼を寄り親と定めたわけではありますが)、私も、レモンが爽やかな檸檬色に耀く様子を眺めつつも、筍が竹の子であるのを想い、立派な竹に育つまで、自分の家のひさしを削って見守る、そんな良寛さまの心持ちで、レモンの収穫はこの子が無事羽化するまで待っていようと、9月下旬からの半年余り、両者のすこやかなる成長を願っていたのでした。

 ヒデヨリ君が旅立った朝の朗らかなお天気が、どうしたことでしょう、午後になるとどんどん雲が翳ってきて、彼の行く手が案じられました。
 翌々日の3月30日、朝。花曇りと花冷えのダブルパンチではあるけれど、最低気温は10℃以上あります。



 外皮の下に翅の蛇の目の模様がうっすらと。
 …でもまだ寒いよね、と、蛹ちゃんに聞こえるように独り言を呟きました。

 曇りがちであるけれど、昨晩から妙に生暖かい令和3年度最後の日。
 31日昧爽、不思議な胸騒ぎに寝付けぬまま、



 油紙で包んだように、下の翅の模様がクッキリはっきりしてきて、これは羽化が近い、ひょっとするともう羽化してしまうのでは…虫がかぶるとはこういったことでもあったのかも…などと思いながら部屋に戻り所用にかまけておりました。


 思えば、この越冬サナギはそのかみ、ずいぶん怒りんぼうで在りました。
 ある初秋、檸檬の樹に水を遣ろうと植木鉢を見ると、地面の上で角を出して怒ったようにのたくっている終齢幼虫が居りました。



 枝からバサッと思い切りよく落ちて、蛹化のための放浪に出掛ける幼虫が多いのですが、思い掛けなく痛かったのでしょうか…
 「ああ、まったくいやんなっちゃう、なんでこんなことになってんのよう!!!」



 綺麗なレモンイエローのツノを出したまま、鬼と化してがむしゃらに網目を登ってゆきます。










 そして走馬灯のように、青虫時代のレモンちゃん(仮)と、青い檸檬の実の愉しい生活が脳裡に…










 さなぎ生活も、レモンちゃんたちは一緒でした。







 そんなことを考えて、何かと多忙な朝9時台、ハッとして、グッときて(?)バタバタっとベランダへ、ちょうど抜けサナギ、羽化途中の姿が…



 あれよあれよという間に抜け出てしまったので、こんな写真しか取れませんでした(しょぼん…(´・ω・`))









 さて、私もアゲハの養い親となりました経験上、羽化した後、天空に羽ばたくまで小休止がございますことは心得ておりました。風に負けぬよう、翅がしっかり伸びるまで…





 準備は整ったようです。
 レモンちゃんは三度(みたび)、大きく翅を上下させると、檸檬から飛び立ちました。
 道路を隔てたお向かいのマンションとの谷間を、ひらひらと旋回して去ってゆく影が、ベランダから見えました。

https://youtube.com/shorts/BgxUry_Ox3Q?feature=share




 朝日のあたる抜け殻…(♪ダンダダダダンダン、ジャンジャジャジャジャンジャン…)
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鶯はYABUにいる

2022年03月29日 00時23分00秒 | 折々の情景
 気持ちよく晴れた月曜日の朝、気の早いお拾いが旅支度をしているとは露とも知らず、東京の桜が満開になったとの報を得た私は自分の目で確かめに行った。
 とは言え、実のところ花見時の井の頭公園に足を踏み入れるのは気が進まない。人混みはとにかく苦手である。



 早朝で人通りも疎らな吉祥寺通り、折からのホーホケキョ…の声にいざなわれて、井の頭動物園の前庭である御殿山の雑木林を廻る。





 声はすれども姿が見えぬ、艶やかな啼き声を耳で追うと、そこは灌木や下草の生い茂った藪である。

  ♪藪のウグイス 気ままに啼いて 羨ましさの 庭の梅…

 長唄「五郎」二上り冒頭。今年はもう桜。
 ケキョ ケキョ ケキョ…と、おっとりとした間合いの、谷渡りの稽古に余念のない彼らの声、朝陽が心地よい。
 曾我兄弟の弟、江戸歌舞伎に欠かせない荒事キャラ・五郎時致(ときむね)が、父の仇討ちを胸に秘めつつ…そうは言っても、張り詰めていては弓のつるも切れようというもの、春の陽気にうかうかと気晴らしにガールフレンド・化粧坂(けわいざか)の少将のもとへいそいそと…

  ♪…あれ、そよそよと 春風が 浮き名たたせに吹き送る…

 しかし私は武蔵野の自然を前に、ふつふつと胸の鬱屈を覚える。幾本かの立ち木の見事な幹に、赤い目印が結ばれている。
 伐採されてしまうのだ。







 公園の整備とはどうあるべきなのだろうか、テーマパークのような幼稚な感覚で設計され直した場所に、魂の浄化作用があるとは思えない。近年の公園管理の在り方が、私には理解できない。

 そしてまた十数年以前には、徒らに伐採し廃棄するのではなく、枯れかかった老木を蘇らせる樹医という立派なお仕事をなさる、樹木のお医者さまがいらしたが、かの先生の後継者は育たなかったのだろうか…

 ザンギリの染井吉野を筆頭に、街路樹の無残に刈り込まれた樹影の痛々しさ、寒々しさ。
 …ああいうのを本当のぶっきら棒と言うんだねぇ……



 ウグイスは藪に居るのだ。
 雑木林を生産性の無い無駄なスペースと考える、その無益な発想こそ、どうにかならないものだろうか。
 季節は春だが、日本は厳冬の氷に閉ざされている…ように思える。
 令和4年の春を愁う。


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ヒデヨリ、旅立つ。

2022年03月28日 18時30分58秒 | 美しきもの
 さて、予てより当家には4頭の越冬サナギが居り、何故か1頭にだけ名前が付いていた。
 その名を"御拾い"といった。
 なぜなら、彼は終齢幼虫の時、蛹化するための最適の場所を求め、ベランダの手すりを這い回っていたが、何を勘違いしたのか、外壁の1尺近い厚みがある銀色の金属カバーの上を、外界へ向かって嬉々として直進し、そのまま真っ逆さまに9階から落ちた。

 まさか落ちはすまい、しかし、あの元気なスピードのまま進めば落っこちるのではなかろうか…などと思って彼の挙動を見守っていた私は、愕然として、とはいえ厳然とした自然のものの成り行きを、悄然として受け入れる覚悟はできていたので、諸行無常、南無阿弥陀仏…と唱える雲水のように、偶々室内にいた家人にそう告げた。
 淡々として諦めのよい私とは違い、情の厚い家人は、事の顛末を聞くと、突然玄関を飛び出していった。
 どうしたのだろう、バタバタして…と、相変わらず私は察しが悪かったのであるが、なんとベランダ真下の地上階二輪車置き場へ青虫救出に向かっていたのだった。

 そんな訳で、九死に一生を得たアゲハの終齢幼虫は、家人に拾われ、何事もなかったかのように檸檬の樹に戻ると、ほどなく蛹化した。
 2021年10月24日のことであった。




 ☝2021年10月28日

 十数メートルにも及ぶ空中をダイブして地面に墜落して、一体まともなサナギになれるのだろうか…と案じていたが、数日経つとすっかりほかのサナギと遜色ない蛹になって2022年を迎えた。
 そも、蛹の殻の中はマントル状の流動体になるのだから、落ちてひしゃげても差し支えが無いのかも知れなかった。


 ☝2021年12月31日

 果たしてオヒロイくんは、無事成長して、秀頼君になれるだろうか…というのが、このじゅうの私の心配ごとでもあった。
 第一、あまりにも無防備に陽の当たる場所で蛹になってしまったし、ということは外敵の野鳥に発見されやすく、餌として啄まれる危険性に満ち満ちている。
 案じれば案じるほど、彼は悲運の豊家二代目に似た特質を持っているのだった。

 暖冬が続いていたここ数年になく寒い正月だったが、3月になって急に暖かい日が続き…ひょっとしてまたまたそそっかしいウッカリ者の我が家のさなぎどもは、勘違いしやしないだろうな、こんなに早い時季に羽化してしまったら生涯の伴侶に出会えないではなかろうか…という、またそれが私の心配ごとの種ともなった。



 3月23日、さなぎ近影。
 慌しく年度末の行事日程に追われながら、28日月曜日の朝。



 レモンの葉陰にアゲハチョウが…こんな時期に卵を産みにお母さんが来るものだろうか、と矢張り察しの悪い私は、そんな一瞬の間をおいてから、蛹が羽化したのだと初めて気が付いた。動顛していたのである。







 強風にあおられながら、今ではヒデヨリくんと名を変えたお拾いが、懸命に網目を登ってゆく。
 まだ羽化したばかりの翅は伸び切っておらず、風の脅威に晒されて、ぺなぺなとはためく。















 30分ほども屋上の軒の際で風をこらえていただろうか、やおら、翅を大きく上下させると、秀頼は青空に飛んだ。

https://youtube.com/shorts/ZliM_7yxl1E?feature=share

 
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Fuga 虎の巻

2022年03月27日 06時36分09秒 | 近況
 今朝もまた、ウグイスの啼き声で6時ごろ目が覚めた。
 ことし、令和四年は、東都の乾(いぬい…正しくは酉とりの方角だと思うが、巽が捩れない…ので敢えて…)の我が庵、お隣の文化園では近年リスぞ棲む…武蔵野市の一角にては、月暦二月十二日で新暦3月14日(日付だけ偲べば1701:元禄14年にては江戸城松の御廊下内にて刃傷事件の在った日、平成の世ではホワイトデーなる名称が盛んだった暦日)に、初鳴きを観測致しまして、
 以来、隣国の戦火である人災の風評、地震や3月のライオンらしき気紛れなお天気と強風などの天変地異に心悩ませる日々を、朝方の一時だけでも、忘れるよすがとなっていた。

 それでふと、あれは何度目の寅年であったか、年賀状に歌舞伎『鬼一法眼三略巻/きいちほうげん さんりゃくのまき』菊畑(きくばたけ)での虎蔵=実は牛若丸の拵えの似顔絵を極彩色で描き、版下にしてプリントごっこで印刷し、お送りした知人から「趣味爆裂の御年賀状、ありがとう御座います」との賀詞を賜ったのは…歌舞伎座ぐるいをしていた30代半ばのことで有りましたでしょうか…、そんなことがあったのを、春告げ鳥の囀りで想い出したのだった。

 さて、私が20世紀最後の寅年に選んだ図柄は、前髪時代の源義経が平家を打ち負かす為、武術の奥義書・虎の巻を得んと、庭師に化けて潜伏している鬼一法眼の館でのお話でありましたが、
 その鬼一法眼、長寿の御祝いである鳩の柄の杖をお上から賜る後期高齢者でありまして、剣のみならず風流も解する仁徳のあるご老体で、折からの菊の季節、庭木の手入れに、落葉を樹の根方に幾枚か残して掃除する、その風雅の心得を賞翫する雅さも持ち合わせている。



 平安の和歌に表象される文化は貴族社会に限られたものであったようだけれども、永禄10年1567、稲葉山城を攻略し岐阜と名付けた織田信長が天下布武:てんかふぶを唱えてから、ほぼ半世紀のちの慶長20年=元和元年1615、大坂夏の陣にて天下を手中に収めた徳川家康が元和偃武:げんなえんぶを、日本列島の中心(?)で叫んで以来、平和であるからこその文化生活はあまねく庶民に行き渡り…日本国は紆余曲折あったものの、2022年の私もが、風雅を心に持ち得ている現在を迎えているわけである。されどしかし…

 文化が再び特権階級に限定されるものであってはならない、そして、21世紀にもなろうというのに、昭和元禄から後退して、社会が富裕と貧困の二極化にある状態を、人間として看過することを恥ずかしい、と感じる見識がある人間を育てる土壌がなくてはならない、と、
 再開発という御達しにより、ご近所の井の頭文化園のみならず、神宮外苑のイチョウ並木までもが伐採されてしまうらしい、文化・風土を蔑ろにした都市計画が推進されている現在に、
 この鶯の声はいつまで聞かれるものかしら、庶民の心の慰めとは何処に在るものかしら…と、谷渡りを習得した彼のものの行く末に、心を痛める春の愁い…

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春は夢

2022年03月18日 16時18分05秒 | 折々の情景
2022年3月18日は、令和四年二月十六日で月齢15.4。
満月なのだった。
しかも彼岸の入りである。

花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ…と歌った、何という有言実行のお方でありましょう、皆さま御存知よりの西行法師が亡くなったのは、文治六年(1190)二月十六日。
今年と同じく、望月が十五日ではなく、十六日だった年でありました。

やぁ、殊更に今年は、西行法師を追慕しなくてはなりませんなぁ…などと思っていたが、何とぎょっとすまいことか、
先月より些か季節外れとも思えるが、お稽古の進捗状況により外してはいけない曲の順番というものがあり、何故かお弟子さんのうちお二方が「藤娘」に進んでいた。

〽️津の国の難波の春は夢なれや…

ぉぉ、何としたこと、藤娘の置唄は西行の「津の国の なにはの春は ゆめなれや 葦の枯れ葉に 風わたるなり」の転用であった。
時を超えて、西行が思い起こせよ…と私に念波を送って下さったのか…思えば長唄に携わるものもまた、限りなく彼の恩恵に与っている。

心して藤娘をお伝えするとして、私が好きな西行法師の一首を添え、追悼としたい。

きりぎりす 夜寒むに 秋のなるままに
よわるか声の遠ざかりゆく

こりゃまた季が違ごうとりますが、お許し下さいませ…
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那須野(三国妖狐物語 下の巻)

2022年03月06日 12時01分21秒 | お稽古
 那須野の殺生石(子どもの頃から“さっしょうせき”と呼ぶと思い込んでおりました)が、なんと先日、真っ二つに割れたという。
 怖いことに、下野新聞の写真から伺うに、何ものかを内在させていたかの如く、石の中は空洞であった。

 偶々、そのニュースを聞いたのが、昨夕刻、お弟子さんのお稽古で「那須野」の
  ♪のう あさましや 幾万代(いくよろづよ)の としを重ねて功を積み…
辺りを、さらっての帰りだったので、とてもビックリした。

 栃木県のお隣の海に隣接した北関東はI県で生まれ10代まで育った私には、下野の国(しもつけのくに)那須野(なすの)は、幼少よりお馴染みの場所であった。日光への日帰り遠足は屡々行われた学校での年中行事であったし、足を延ばせば那須・塩原は我が裏庭であった。

 特に、母方の曽祖父は那須野の歌詞にも出てくる“大田原”の素封家の出身で、分家して隣県の海岸沿いの寒村にてランプを商い始めたのが明治~大正年間。
 母が太平洋戦争中に本家に疎開した折、立派な白壁の築地塀が街道沿いに延々と続いたのが何区画もあって、沢山あった土蔵の中で遊んでいたら大きな蛇が落ちてきてとても驚いた、貴族院議員を何度も務めた一族で、おふじさんというとても美人でとてもお裁縫が上手で何をやらせても完璧な大伯母さんがいたのである…と、幼少期の私は、第二次世界大戦・太平洋戦争の想い出話として何度も聞かされた。こうして文章化すると…史料的価値のあまりない日本昔話的お伽噺ではあった。

 …であるから、子供時代からの私の那須野=殺生石のイメージは、遠縁のおふじさん=ルパン三世の峰不二子イコール、金毛九尾の狐(こんもうきゅうびのきつね)の魂が漂泊して人のかたちを以ってこの世に現れた美しき女性にょしょう、イコール私の眷属、という図式が出来ていて、実は私はお稲荷さん…(本物のキツネはそぅでもないが)、空想上のキツネが、精霊の御遣いひめでもあるキツネの眷属が出てくる物語が、とても好きなのである。
 今となってはとても迚てもそんな不遜なことは思いも寄らないが、若い時分、宗教の勧誘を受けそうになると「アタシは、オイナリさんと自分教のmixですから、結構です」と断っていた。

(余談になるが、この図式で、西行法師=佐藤某イコール母方の祖母の姓=遠縁…自分の子供を縁側で足げにして出家した…ふむふむ、イコール私の眷属とか、琵琶湖の大ムカデ退治・俵藤太:藤原秀郷イコールNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」の露口茂asシャーロックホームズは永遠に不滅です…イコール、myフェイバレットthings、とか…脳内が渦を巻き始めるのである)

 さて、長唄の那須野は本名題「三国妖狐物語(さんごくようこものがたり)」全三段の物語のうち、下の巻。二上りの通しのうえ(つまり調子替りがないので未熟な者でも演奏しやすい)15分程度なので、20世紀中のおさらい会では結構かかっていた。
 踊りのプロである舞踊家でもあるお弟子さんが、あまり聞いたことがない曲ですね…とちらりとこぼしたので、私の目がキラリと光った。
 「文楽に『玉藻前曦袂(たまものまえ あさひの たもと)』という番組があってね…」

 教養としての観劇を目的とした高尚な文化を嗜みたい方々は、演劇に思想性や精神性を求めがちなので、どうしても理論が先行し、素朴なお芝居(例えばピアノ線がうっすら見える昭和の特撮ドラマなど)を馬鹿にしがちなので、伝説や幻想的傾向をのみ頼みとする歌舞伎が、どうしても廃れていくのであるが、子どもの頃から芸術文化を愉しむ素養を育むに最も適した演目、本来の歌舞伎の魅力はケレン味にある。

 左脳ではなく右脳。理屈ではなく情緒で味わうのが、ストレス社会における頼もしい芸術との付き合い方ではなかろうか。

 メルヘンとホラーは私の最も好むところ。

 我らが(長唄・那須野での)お玉ちゃんこと九尾のキツネ、
 三国妖狐物語の上の巻「天竺檀特山(てんじく だんとくせん)の段」では、インドの山奥で修行しているシッダールタ太子、つまり後のお釈迦様の留守の隙を狙って、隣国の王の愛妾となり攻め寄せるというキャラ設定。
 太子の法力に無念や、お隣の中国に飛び去り、中の巻「唐土華清宮(もろこし/とうど かせいきゅう)の段」で、悪名高き殷の紂王の愛妃・妲己に化けておりましたが、これまた魔鏡の法力にて姿を現し敗退。
 お隣の本邦・日本国へ逃げ、平安時代の朝廷にて玉藻の前となり入内(じゅだい)し、傾国を企む一味として帝をたぶらかしておりましたが、陰陽師・安倍泰成(あべのやすなり)博士に法剣・獅子王にて退けられ、那須野へ飛び去るのでありました←今ココ(長唄・那須野の舞台設定)

 そして三国妖狐物語の特徴は、三つのエピソードが夢オチを逆手に取った夢続き(?)ドリーマーズ・ハイとでも呼びたい手法で連続しているところ。
 上段が、はっ、夢だったのか…と古代中国の文王が目を覚まし、中段の幕開きとなり、下段が、ややや、途方もない夢を見ちゃったぜ、と、しずの百姓と猟人である助蔵・助作コンビ(実は上総之助と三浦之助)が夢の話を自慢し合う、というシーンで始まるのだ。

 彼らが戯れに恋の鞘当てを演ずるマドンナ・お玉ちゃんは、なんとまぁ、分かりやすいことに玉藻の前の暗喩(いえ、明確なトレードマーク)“水に藻の花”模様の衣装でオシャレごころを発揮。土地の祭で浮かれくるって踊っておりましたところ、油断して自らが妖狐である証しの夜光の明玉を、ころころころ…と取り落としてしまいます…

 さてさて、両助に蟇目(ひきめ)の弓で降伏(ごうぶく)された九尾のキツネは心を入れ替え、♪四海泰平民安全(しかいたいへい、たみあんぜん)、五穀富裕(ごこくふゆう)の神なるぞ、と堅い約束をして盤石の固い石になったのであります。めでたしめでたし。

 この、かつて日本の人口に膾炙した御伽噺が、令和の世に再び降りかかってこようとは…
 悪夢にハッと目覚めた方はウクライナの大統領、九尾のキツネが飛び去ったお隣の国は魯西亜国、名もプーチン公と改めたのでありましょうか、いやはや、これは夢物語、おとぎ話だったはずでございましょうに………


表題写真は今朝の武蔵野より富士山の遠望、九尾のキツネが那須野より再びいずこかへ飛び去った彼方を望む。
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