西條八十が幻想した、峠から落とした麦わら帽子が露に濡れて、コオロギがその陰でちろちろと鳴いていた季節も過ぎ、秋の虫はことごとく息絶えて、地上が白い大気に覆われるころ。
「砧打つ」という言葉をご存じだろうか。
東京都世田谷区砧に住んでいた学生時代の友人は、近所の横溝正史のお孫さんと幼馴染だったそうである。お爺さんの書斎でよく遊んでいて「あのころゴミ籠の中から書き損じの原稿用紙でも貰ってくれば今頃は左団扇だったのに…」と、本当に残念そうに頭を抱えながら述懐するので、私はその心根をたしなめるより、いっそ気の毒に感じたものだった。
人間、『バック・ツウ・ザ・フューチャー』みたいには、なかなか、出来ないものである。
民俗学の柳田国男の『木綿以前のこと』という本がある。現代では、コットンは衣料の最たるもののようになっているのだけれど、綿というのは南方にしか育たない。木綿が日本で普及したのは江戸の中期以降で、それ以前、庶民の衣服は麻で拵えていたのが主流だった。
夏から秋、そして冬。四季はめぐり、再び、衣更え。麻は繊維がしっかりしているから、それで衣を、石の台、つまり砧に載せて、杵のようなものでトントントン…と打つ。硬いものでも柔らこう。
その音が、秋の夜長の、静寂が支配する夜寒の虚空にこだまする。秋の虫が死に絶えてのち、冬の野山に響くのは鳥の声ぐらいしかないように思う。しかし、まだまだ、日本の風物は、四季折々に控えているのだ。
長唄に『小鍛冶』という、小品ながらもすっきりとまとまった名曲がある。
数年前まで神田駅近く、昔の名前でいえば神田鍛冶町に「小鍛冶」という洋菓子屋さん兼喫茶店があって、お稽古するたびに弟子に喧伝していた。
この『小鍛冶』は、謡曲『小鍛冶』のストーリーをもとにつくられた歌舞伎舞踊である。三条小鍛冶宗近が、名刀を奉ずるように勅命を受けるが、相槌を打てるものがいない。稲荷大明神の力を得て、みごと名刀・小狐丸を鍛え上げるという筋だ。
日本において刀というものは、ただの武器ではない。もっと精神性を象徴するもので、刀鍛冶が刀を鍛えるときは精進潔斎して、全身全霊をかけて刀を打つ。
私がこの曲をとくに讃えたいのは、お稲荷さんの神霊が現れて刀を鍛える、相槌の拍子の合方のあとの、クドキの部分。歌詞が絶妙にすばらしいのである。
♪打つという それは夜寒(よさむ)の 麻衣(あさごろも) をちの砧も音添えて 打つやうつつの宇津の山 鄙(ひな)も都も秋更けて 降るや時雨(しぐれ)の初紅葉(はつもみじ) 焦がるる色を金床(かなどこ)に…
私の脳裏には、鍛冶場の室内から情景は一転して、パンした冬枯れの里が浮かぶ。ここでくだんの砧の出番。
宗近が刀を打っていると、その鎚音に呼応するかのように、遠くから、やはり夜っぴいて仕事をしているのであろう、砧の音が聞こえてくる。一心不乱に打っていると、夢ともうつつともつかぬ忘我の境地に陥ってゆく。
田舎も都も秋更けて、折からの時雨が紅葉に降りかかる。そのさまは、金床に置いて鍛錬している、真っ赤に焼けた刀身に似ている。
なんて美しい歌詞だろう。緋色の紅葉と燃える刀、そして時雨の雨つぶと、工房に充満する湯気と水滴。
天空が一切の雑念を凌駕して、ただひたすら打つという作業から、何ものかを生みだそうと没頭する男に、砧の音としぐれる紅葉は、一人じゃないのだと同調する声援を、密かに寄せているかのようなのだ。
私は、ついうっかりすると、この部分を唄いながら、涙ぐむことがある。
日本の文化の発想と表現の、なんと多元的で豊かなことか。
♪焼き刃渡しは陰陽和合 露にも濡れて薄紅葉(うすもみじ) 染めて色増す金色(かないろ)は 霜夜(しもよ)の月と 澄みまさる…
焼きを入れて、いよいよ刀身は青白い光を放つ。霜月の夜空に浮かぶ澄みきった月のように。
そして、精魂こめて見事打ち上がった名刀を、刀工は月の光にかざして、惚れ惚れと見つめるのだ。
そのときの月は、下弦でなくてはならない。
夜を込めて鍛え上げたからには、傾くまでの月を観るかな…宵のうちに地平に姿を消す、三日月や満月であってはならないのだ。
しんしんと夜が更けて、空の底が明らむちょっと前の、暁の匂いが風に乗ってくるけれども、まだ夜明け前の、そんな西の空に浮かぶ下弦の月。
昭和の、私が生まれ育った北関東の、海に近い田舎町では、クリスマスの夜はとても寒くて、でも晴れていて、空の星々は凍てつくように輝いていた。
群青色の夜空に、青白く鏤められた星たち。見つめていると、とても厳かな神々しい気持ちに満たされた。身も心も清められたように思えて、ただただ、星の煌めくのを眺めていた。
太陽暦では聖誕節だが、太陰太陽暦では霜月廿日の今年のこよみ。
そんなふうに、霜月の、凍てつく夜空のもとでは、西の国では天子が降臨して、極東では名刀が生まれる。
「砧打つ」という言葉をご存じだろうか。
東京都世田谷区砧に住んでいた学生時代の友人は、近所の横溝正史のお孫さんと幼馴染だったそうである。お爺さんの書斎でよく遊んでいて「あのころゴミ籠の中から書き損じの原稿用紙でも貰ってくれば今頃は左団扇だったのに…」と、本当に残念そうに頭を抱えながら述懐するので、私はその心根をたしなめるより、いっそ気の毒に感じたものだった。
人間、『バック・ツウ・ザ・フューチャー』みたいには、なかなか、出来ないものである。
民俗学の柳田国男の『木綿以前のこと』という本がある。現代では、コットンは衣料の最たるもののようになっているのだけれど、綿というのは南方にしか育たない。木綿が日本で普及したのは江戸の中期以降で、それ以前、庶民の衣服は麻で拵えていたのが主流だった。
夏から秋、そして冬。四季はめぐり、再び、衣更え。麻は繊維がしっかりしているから、それで衣を、石の台、つまり砧に載せて、杵のようなものでトントントン…と打つ。硬いものでも柔らこう。
その音が、秋の夜長の、静寂が支配する夜寒の虚空にこだまする。秋の虫が死に絶えてのち、冬の野山に響くのは鳥の声ぐらいしかないように思う。しかし、まだまだ、日本の風物は、四季折々に控えているのだ。
長唄に『小鍛冶』という、小品ながらもすっきりとまとまった名曲がある。
数年前まで神田駅近く、昔の名前でいえば神田鍛冶町に「小鍛冶」という洋菓子屋さん兼喫茶店があって、お稽古するたびに弟子に喧伝していた。
この『小鍛冶』は、謡曲『小鍛冶』のストーリーをもとにつくられた歌舞伎舞踊である。三条小鍛冶宗近が、名刀を奉ずるように勅命を受けるが、相槌を打てるものがいない。稲荷大明神の力を得て、みごと名刀・小狐丸を鍛え上げるという筋だ。
日本において刀というものは、ただの武器ではない。もっと精神性を象徴するもので、刀鍛冶が刀を鍛えるときは精進潔斎して、全身全霊をかけて刀を打つ。
私がこの曲をとくに讃えたいのは、お稲荷さんの神霊が現れて刀を鍛える、相槌の拍子の合方のあとの、クドキの部分。歌詞が絶妙にすばらしいのである。
♪打つという それは夜寒(よさむ)の 麻衣(あさごろも) をちの砧も音添えて 打つやうつつの宇津の山 鄙(ひな)も都も秋更けて 降るや時雨(しぐれ)の初紅葉(はつもみじ) 焦がるる色を金床(かなどこ)に…
私の脳裏には、鍛冶場の室内から情景は一転して、パンした冬枯れの里が浮かぶ。ここでくだんの砧の出番。
宗近が刀を打っていると、その鎚音に呼応するかのように、遠くから、やはり夜っぴいて仕事をしているのであろう、砧の音が聞こえてくる。一心不乱に打っていると、夢ともうつつともつかぬ忘我の境地に陥ってゆく。
田舎も都も秋更けて、折からの時雨が紅葉に降りかかる。そのさまは、金床に置いて鍛錬している、真っ赤に焼けた刀身に似ている。
なんて美しい歌詞だろう。緋色の紅葉と燃える刀、そして時雨の雨つぶと、工房に充満する湯気と水滴。
天空が一切の雑念を凌駕して、ただひたすら打つという作業から、何ものかを生みだそうと没頭する男に、砧の音としぐれる紅葉は、一人じゃないのだと同調する声援を、密かに寄せているかのようなのだ。
私は、ついうっかりすると、この部分を唄いながら、涙ぐむことがある。
日本の文化の発想と表現の、なんと多元的で豊かなことか。
♪焼き刃渡しは陰陽和合 露にも濡れて薄紅葉(うすもみじ) 染めて色増す金色(かないろ)は 霜夜(しもよ)の月と 澄みまさる…
焼きを入れて、いよいよ刀身は青白い光を放つ。霜月の夜空に浮かぶ澄みきった月のように。
そして、精魂こめて見事打ち上がった名刀を、刀工は月の光にかざして、惚れ惚れと見つめるのだ。
そのときの月は、下弦でなくてはならない。
夜を込めて鍛え上げたからには、傾くまでの月を観るかな…宵のうちに地平に姿を消す、三日月や満月であってはならないのだ。
しんしんと夜が更けて、空の底が明らむちょっと前の、暁の匂いが風に乗ってくるけれども、まだ夜明け前の、そんな西の空に浮かぶ下弦の月。
昭和の、私が生まれ育った北関東の、海に近い田舎町では、クリスマスの夜はとても寒くて、でも晴れていて、空の星々は凍てつくように輝いていた。
群青色の夜空に、青白く鏤められた星たち。見つめていると、とても厳かな神々しい気持ちに満たされた。身も心も清められたように思えて、ただただ、星の煌めくのを眺めていた。
太陽暦では聖誕節だが、太陰太陽暦では霜月廿日の今年のこよみ。
そんなふうに、霜月の、凍てつく夜空のもとでは、西の国では天子が降臨して、極東では名刀が生まれる。