2月28日、坪内逍遙忌。
逍遙が晩年を過ごした熱海で、毎年、記念祭が行われる。
今年は常日頃お世話になっている舞踊家の先生が、逍遙作詞の長唄「新曲浦島」を舞われた。凛々しく美しい。積み重ねた年輪の上に咲く藝は、毅然として揺るぎがない。
そこから足を延ばして、かねてより行ってみたかった梅ヶ島郷へ、湯治がてら。
はるか四半世紀以上前、受験の折の内申書に「柔和ながらも、竹のように一本通った強靭さ、しなやかさを持つ(…とか何とか)」と、担任の先生が加点して書いて下さったのをこっそり読んでいた私は、その評価をたがえることが無きよう、ことさらに潔きことを旨として、若き日を過ごした。
ために、百花に先駆けて咲く梅へのシンパシィ並々ならず、徳川光圀またの名を水戸黄門(私は祖母の影響で月形龍之介が好きだったが、リアルタイムでは東野英治郎)の俳号が梅里だったため、杉並区梅里(落語「堀之内」でおなじみのお祖師様のそば)に住まいしてみたいと、願うほどだった。それゆえ、梅のつく地名にめっぽう弱い。
安倍川の起点を有するその地から、身延へ抜ける安倍峠を超え、落語好きなら一度は訪れたい「鰍沢」へ寄りつつ、甲州路をたどり武蔵野へ帰るはらづもりだったが、先の台風で峠道は寸断され、車では通れないという。
朝から雨。渓流のゴウゴウという水音が色を添えて、旅の空。
そして…東京は大雪のニュース。
…であるのに、テレビからの映像がとても現実とは思えないほど、昼前にすっかり雨は上がり、さわやかなブルーに縁取られた春の空は、駿河の道を朗らかに照らしている。
東京はどうしているのだろう…ゴジラ襲来の如き災厄に見舞われた我が町が、ことさらに気にかかる。その里ごころに鞭打つように、東名高速道、一部不通の電光表示。
どうやら山道がもう積雪でダメらしいのだった。
東名高速道路を、歌舞伎・文楽好きならまたまた、ニヤリとせずにはいられない「沼津」で下りる。そこから初心にかえって国道一号線、東海道を江戸へ向かう。
雲は東にながれ晴れ間の見える空の下、旧街道に近い箱根の峠越えは、右も左も雪だったが、路面はすっかり除雪されていて、管理者の手際の良さに、逆に労苦が偲ばれた。
東京から、夏の箱根は皆がよく訪れる。箱根美術館の萩が、ことのほか私は好き。
しかし、冬の箱根って…一度も来たことがないんじゃないかしら…。
1950年代から1960年代にかけての日本の青春映画、そしてサラリーマン映画では、何かというと箱根にドライブする若者たちの姿が銀幕に映った。
その終着点はたいがい芦ノ湖の、このビューポイントなのだった。
自然は美しく雄々しく、我らはあまりにも小さい。
しかしその小さきものの健気さは、万物に代えがたいほどに美しい。
箱根峠を越えて。
私は私の愛する町、東京へ向かった。
逍遙が晩年を過ごした熱海で、毎年、記念祭が行われる。
今年は常日頃お世話になっている舞踊家の先生が、逍遙作詞の長唄「新曲浦島」を舞われた。凛々しく美しい。積み重ねた年輪の上に咲く藝は、毅然として揺るぎがない。
そこから足を延ばして、かねてより行ってみたかった梅ヶ島郷へ、湯治がてら。
はるか四半世紀以上前、受験の折の内申書に「柔和ながらも、竹のように一本通った強靭さ、しなやかさを持つ(…とか何とか)」と、担任の先生が加点して書いて下さったのをこっそり読んでいた私は、その評価をたがえることが無きよう、ことさらに潔きことを旨として、若き日を過ごした。
ために、百花に先駆けて咲く梅へのシンパシィ並々ならず、徳川光圀またの名を水戸黄門(私は祖母の影響で月形龍之介が好きだったが、リアルタイムでは東野英治郎)の俳号が梅里だったため、杉並区梅里(落語「堀之内」でおなじみのお祖師様のそば)に住まいしてみたいと、願うほどだった。それゆえ、梅のつく地名にめっぽう弱い。
安倍川の起点を有するその地から、身延へ抜ける安倍峠を超え、落語好きなら一度は訪れたい「鰍沢」へ寄りつつ、甲州路をたどり武蔵野へ帰るはらづもりだったが、先の台風で峠道は寸断され、車では通れないという。
朝から雨。渓流のゴウゴウという水音が色を添えて、旅の空。
そして…東京は大雪のニュース。
…であるのに、テレビからの映像がとても現実とは思えないほど、昼前にすっかり雨は上がり、さわやかなブルーに縁取られた春の空は、駿河の道を朗らかに照らしている。
東京はどうしているのだろう…ゴジラ襲来の如き災厄に見舞われた我が町が、ことさらに気にかかる。その里ごころに鞭打つように、東名高速道、一部不通の電光表示。
どうやら山道がもう積雪でダメらしいのだった。
東名高速道路を、歌舞伎・文楽好きならまたまた、ニヤリとせずにはいられない「沼津」で下りる。そこから初心にかえって国道一号線、東海道を江戸へ向かう。
雲は東にながれ晴れ間の見える空の下、旧街道に近い箱根の峠越えは、右も左も雪だったが、路面はすっかり除雪されていて、管理者の手際の良さに、逆に労苦が偲ばれた。
東京から、夏の箱根は皆がよく訪れる。箱根美術館の萩が、ことのほか私は好き。
しかし、冬の箱根って…一度も来たことがないんじゃないかしら…。
1950年代から1960年代にかけての日本の青春映画、そしてサラリーマン映画では、何かというと箱根にドライブする若者たちの姿が銀幕に映った。
その終着点はたいがい芦ノ湖の、このビューポイントなのだった。
自然は美しく雄々しく、我らはあまりにも小さい。
しかしその小さきものの健気さは、万物に代えがたいほどに美しい。
箱根峠を越えて。
私は私の愛する町、東京へ向かった。