早いもので9月ももうお彼岸です。
今週末、25日(日)、吉祥寺で邦楽大会がございます。
箏曲、尺八、長唄など十二番をお愉しみ頂けます。
木戸は無料で、お出入り自由ですが、感染症対策へのご協力をお願いしております。
当杵徳社中は、古典長唄「島千歳(しまのせんざい)」、同じく「蜘蛛拍子舞(くものひょうしまい)」をお囃子入りの演奏で出演いたします。
我がFAVORITEな名曲、蜘蛛拍子舞の内容に関しましては愚ブログ2015年3月23日付「それは蜘蛛拍子舞から始まった」をご参照頂けましたら幸甚です。
近年、大和屋が舞台でかける歌舞伎の一番組は現代のご見物衆を慮って、説明が多いような気が致します。私が昔観た歌舞伎舞踊の蜘蛛拍子舞は、もっと官能的でスピーディで、二十歳前後の婦女子のハートを理屈抜きにむんずと捕まえた、圧倒的面白さでした。
和のオーケストラbox(!)におわした地方の先生方はどなただったのか…
川崎浮世絵ギャラリー(斎藤文夫コレクション)にて今夏開催されました、月岡芳年の特集、私も参じまして、土蜘蛛ちゃん(杉浦茂のキャラクターみたいで可愛い‼️)の名刺サイズカレンダーを頂戴して参りました。
ありがとうございます(。ノuωu)ノ
…個人的なごたくは扠措き、
ご来場を一同、首を長くしてお待ち申し上げております。
当日のプログラムより、武蔵野邦楽連盟 会長 杵屋徳衛のご挨拶文を転載いたします。
併せてご一読賜れますれば嬉しゅうございます。
ロストワールド 会長・杵屋 徳衛
この国のふくよかな四季の変化の中に生きてゆくからこそ湧いてくる季節ごとの共通の情念から生まれてくる感性が、情緒・風情・粋などの感性です。
江戸庶民貧富の差さえ超えられる美への共感を育て、世界中で類い稀な庶民文化を開花させて芸術の領域へと昇華させてしまいました。
そのことを知ってか知らずか、明治開国以来、連綿と受け継がれてきてしまった外国に対するコンプレックスが、西洋理論での教育を優先し、この国の人が感情を理解する余裕もチャンスも与えられぬまま、西洋発想一辺倒を助長させてしまい、この国独特の感性を抑え込んでしまいました。
この国に住んできた人々に相応しいのは「理屈では割り切れない感覚の存在」なのではないでしょうか?
洋楽だけだと偏りがあるため、平成四年から、中学校でも邦楽、長唄の時間が設けられました。
洋楽の理論どおりの演奏だけだと、日本音楽の世界と遭遇した時、洋楽のリズムに馴染まない唄や、演奏速度が一旦ゆっくりになって次に別速度になる時に戸惑い、99%聞かれるのが『その休みは何拍ですか?』という問。伸びてるだけで「拍」は無いのでフェルマータでもないのですがメトロノームにはまらないから理解できないんです。
カウントや理屈だけでなく、もっとアナログで不揃いのようでいながら経験則でわかれば同じ拍子になる経験値を経て習得するもので、西洋理論も大切にしつつ、こうした「経験」からしか得られない右脳発想教育も用いられるようになればと強く思うこの頃です。
本日の演奏はそうした感性で作られた曲などを、今の感性と混在しつつ理解しようとして勉強を続けている最中の一コマです。
どうか皆様、この国の美的感性を応援してください。
今週末、25日(日)、吉祥寺で邦楽大会がございます。
箏曲、尺八、長唄など十二番をお愉しみ頂けます。
木戸は無料で、お出入り自由ですが、感染症対策へのご協力をお願いしております。
当杵徳社中は、古典長唄「島千歳(しまのせんざい)」、同じく「蜘蛛拍子舞(くものひょうしまい)」をお囃子入りの演奏で出演いたします。
我がFAVORITEな名曲、蜘蛛拍子舞の内容に関しましては愚ブログ2015年3月23日付「それは蜘蛛拍子舞から始まった」をご参照頂けましたら幸甚です。
近年、大和屋が舞台でかける歌舞伎の一番組は現代のご見物衆を慮って、説明が多いような気が致します。私が昔観た歌舞伎舞踊の蜘蛛拍子舞は、もっと官能的でスピーディで、二十歳前後の婦女子のハートを理屈抜きにむんずと捕まえた、圧倒的面白さでした。
和のオーケストラbox(!)におわした地方の先生方はどなただったのか…
川崎浮世絵ギャラリー(斎藤文夫コレクション)にて今夏開催されました、月岡芳年の特集、私も参じまして、土蜘蛛ちゃん(杉浦茂のキャラクターみたいで可愛い‼️)の名刺サイズカレンダーを頂戴して参りました。
ありがとうございます(。ノuωu)ノ
…個人的なごたくは扠措き、
ご来場を一同、首を長くしてお待ち申し上げております。
当日のプログラムより、武蔵野邦楽連盟 会長 杵屋徳衛のご挨拶文を転載いたします。
併せてご一読賜れますれば嬉しゅうございます。
ロストワールド 会長・杵屋 徳衛
この国のふくよかな四季の変化の中に生きてゆくからこそ湧いてくる季節ごとの共通の情念から生まれてくる感性が、情緒・風情・粋などの感性です。
江戸庶民貧富の差さえ超えられる美への共感を育て、世界中で類い稀な庶民文化を開花させて芸術の領域へと昇華させてしまいました。
そのことを知ってか知らずか、明治開国以来、連綿と受け継がれてきてしまった外国に対するコンプレックスが、西洋理論での教育を優先し、この国の人が感情を理解する余裕もチャンスも与えられぬまま、西洋発想一辺倒を助長させてしまい、この国独特の感性を抑え込んでしまいました。
この国に住んできた人々に相応しいのは「理屈では割り切れない感覚の存在」なのではないでしょうか?
洋楽だけだと偏りがあるため、平成四年から、中学校でも邦楽、長唄の時間が設けられました。
洋楽の理論どおりの演奏だけだと、日本音楽の世界と遭遇した時、洋楽のリズムに馴染まない唄や、演奏速度が一旦ゆっくりになって次に別速度になる時に戸惑い、99%聞かれるのが『その休みは何拍ですか?』という問。伸びてるだけで「拍」は無いのでフェルマータでもないのですがメトロノームにはまらないから理解できないんです。
カウントや理屈だけでなく、もっとアナログで不揃いのようでいながら経験則でわかれば同じ拍子になる経験値を経て習得するもので、西洋理論も大切にしつつ、こうした「経験」からしか得られない右脳発想教育も用いられるようになればと強く思うこの頃です。
本日の演奏はそうした感性で作られた曲などを、今の感性と混在しつつ理解しようとして勉強を続けている最中の一コマです。
どうか皆様、この国の美的感性を応援してください。