この一週間は諸事につき、写真を撮る心のゆとりとてなかった。
越冬さなぎのほぼ総てが、透明な抜け殻となり、ベランダのそこかしこに残されている。
やっと環境整理ができる…と安堵に伴う若干の寂寥感が…しかし、責務を果たして空に同じく晴れ晴れとする。
昨年収穫したレモンの種から実生の苗が育って、少しずつ寸を伸ばしている葉っぱに、此方を食べられては大変…と、先週まで気をつけてハーブから精製された防虫剤を撒いていたのに、すっかり手薄になっていたところへ、今朝の発見。
早くもアゲハチョウのお母さんに新たな命を託された者としては…善処するしかあるまい。
孵化したらお隣の鉢の、大きい樹の葉っぱに移住させるとして、さてはて息をつく間も無く、再び生き物の動向に気をめぐらせる季節が到来したのだった。
出先の所用が済み、久し振りに日比谷公園を散策する。
チューリップの花弁が散った花壇で、巣立ったばかりの小雀たちが、ちょこちょこと何かしら啄んでいる。
♪スズメがね、お庭でちょこちょこかくれんぼ…と、幼い頃、母が童謡のレコードをかけてよく聴かせてくれた、眞理ヨシコの歌声が耳に浮かぶ。
かつては灌木で鬱蒼としていた園内は、虎ノ門に日参していた30年前とは随分雰囲気が変わって、下草が整備され、樹下には雑草然としたネモフィラなどの植栽がなされ、むしろ貧相である。
噴水広場の芝生に、かつては見事なバラ園があったはずだが…。
園庭の手入れの予算を減らしては文化国家とは言えまい。
平成ヒトケタ時代、調べものというよりは、日中の息抜きのため周辺のビジネスマンや学生で溢れかえっていた日比谷図書館も、日比谷図書文化館と名を変え、ひそやかに存在していた。
日常が人々の活気で溢れていたあの時代から、何がどう変わって現在の日本になってしまったのか…人も疎らな虎ノ門のバス停に佇み、私は考える。
越冬さなぎのほぼ総てが、透明な抜け殻となり、ベランダのそこかしこに残されている。
やっと環境整理ができる…と安堵に伴う若干の寂寥感が…しかし、責務を果たして空に同じく晴れ晴れとする。
昨年収穫したレモンの種から実生の苗が育って、少しずつ寸を伸ばしている葉っぱに、此方を食べられては大変…と、先週まで気をつけてハーブから精製された防虫剤を撒いていたのに、すっかり手薄になっていたところへ、今朝の発見。
早くもアゲハチョウのお母さんに新たな命を託された者としては…善処するしかあるまい。
孵化したらお隣の鉢の、大きい樹の葉っぱに移住させるとして、さてはて息をつく間も無く、再び生き物の動向に気をめぐらせる季節が到来したのだった。
出先の所用が済み、久し振りに日比谷公園を散策する。
チューリップの花弁が散った花壇で、巣立ったばかりの小雀たちが、ちょこちょこと何かしら啄んでいる。
♪スズメがね、お庭でちょこちょこかくれんぼ…と、幼い頃、母が童謡のレコードをかけてよく聴かせてくれた、眞理ヨシコの歌声が耳に浮かぶ。
かつては灌木で鬱蒼としていた園内は、虎ノ門に日参していた30年前とは随分雰囲気が変わって、下草が整備され、樹下には雑草然としたネモフィラなどの植栽がなされ、むしろ貧相である。
噴水広場の芝生に、かつては見事なバラ園があったはずだが…。
園庭の手入れの予算を減らしては文化国家とは言えまい。
平成ヒトケタ時代、調べものというよりは、日中の息抜きのため周辺のビジネスマンや学生で溢れかえっていた日比谷図書館も、日比谷図書文化館と名を変え、ひそやかに存在していた。
日常が人々の活気で溢れていたあの時代から、何がどう変わって現在の日本になってしまったのか…人も疎らな虎ノ門のバス停に佇み、私は考える。