2012年1月22日(日曜日)は、旧暦の平成廿三年師走廿九日で、大晦日だった。
29日でも小の月だから、大晦日なのだ。
かくも融通無碍なる日本の文化風土が、うれしくて面白くて…ニンマリしてしまう。
たまたまこの日、富士山の程よい角度の南嶺へ、日輪が沈みゆくさまに立ち会うことができた。
であるから、この写真は、太陰太陽暦・平成23年の、最後の日没なのだ。
さて、そういうわけで、今日はめでたく旧暦の平成廿四年正月朔日。
この表題は「朝はどこから…来るかしら」というメルヘンな命題ではなく、「朝はどこから…朝かしら」という、旧暦を使っていた時代の根本的なお話。
昨年末に観た新作のお芝居の忠臣蔵で劇中「赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした、十二月十四日未明」という、ちょっと残念なセリフを耳にした。
そそっかしさで、忠臣蔵というよりも会津の白虎隊になっちゃってますわね。
これは明らかな間違いですね。
未明というのは、いまだ夜が明けていない時間帯を差す。
江戸時代は、朝になると一日の始まりだから、現行の時間感覚、午前零時を過ぎると日付が変わる、という概念はない。
つまり、赤穂浪士が討ち入ったのは、吉良邸で茶会が催された14日の深夜であるから、正しくは15日の未明である。
当日の記録から、江戸の人々がどのような日付概念を持っていたのか、うかがい知ることができる。桑名藩の江戸詰の家老の文書には、赤穂浪士が吉良邸へ討ち入った時刻を
「昨十四日の夜八つ時ごろ」
と、記しているらしい。
夜八つ、つまり丑の刻。今で言う、だいたい午前二時前後。
落語「時そば」でおなじみで、蛇足でもありましょうが、念のため。
日没。入相の鐘が鳴りますれば、これを暮れ六つ。
それからだいたい2時間後が、宵の五つ。刻限表示の数は、増えないで減っていきます。
さらに更けて夜四つ、亥の刻。だいぶ夜中ですね。現在の22時ごろでしょうか。
亥から十二支の先頭へ戻りまして子の刻。ほぼカウントダウンな時間帯。これがどういうわけでか、九つ。
さらに2時間ぐらい経って牛の刻、夜八つ。
寅の刻ともなりますと、暁の七つ。
…やがて、からすカァで夜が明けますと、明け六つ。明けの鐘がゴーーーーンと鳴る、と。
なんで大体…という表現しかできないかというと、このころは朝日が昇ると昼間で、沈むと夜。その二つに分けた区分を、それぞれに6等分して一日イコール十二刻を決めていたので、季節によって一刻の長さが変わるわけだ。
むかしの時刻法は面白い。
欧米化された現代の感覚で時代劇を料理しようとすると、思いがけない勘違いをすることになるから、当時の人々の考え方、概念というものを理解したうえで想像して、そっと思いやりつつ噛み砕いていく。
そんなことをつらつら考えていたら、新暦の新年カウントダウンイベントで「あけましておめでとう」というのは、本寸法じゃないんじゃないかしら…と、はたと思い至った。
だって、いまだ夜は明けていないのだもの。
夜明け前は、新しい一日の始まりではないのだ。
だから来年から、カウントダウンの時は欧米式に「新年おめでとう!」と言うことにしよう。
時刻を読み込んだ文章というと第一に思い浮かぶ、ものすごく好きな詞章がある。
♪あれ 数ふれば暁の 七つの時が六つ鳴りて 残るひとつが今生の 鐘の響きの聞き納め…
近松門左衛門「曽根崎心中」お初と徳兵衛が、死に場所を求めて天神の森へと進みゆく場面。
あぁ…やっぱり、近松は天才じゃないかしら。
29日でも小の月だから、大晦日なのだ。
かくも融通無碍なる日本の文化風土が、うれしくて面白くて…ニンマリしてしまう。
たまたまこの日、富士山の程よい角度の南嶺へ、日輪が沈みゆくさまに立ち会うことができた。
であるから、この写真は、太陰太陽暦・平成23年の、最後の日没なのだ。
さて、そういうわけで、今日はめでたく旧暦の平成廿四年正月朔日。
この表題は「朝はどこから…来るかしら」というメルヘンな命題ではなく、「朝はどこから…朝かしら」という、旧暦を使っていた時代の根本的なお話。
昨年末に観た新作のお芝居の忠臣蔵で劇中「赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした、十二月十四日未明」という、ちょっと残念なセリフを耳にした。
そそっかしさで、忠臣蔵というよりも会津の白虎隊になっちゃってますわね。
これは明らかな間違いですね。
未明というのは、いまだ夜が明けていない時間帯を差す。
江戸時代は、朝になると一日の始まりだから、現行の時間感覚、午前零時を過ぎると日付が変わる、という概念はない。
つまり、赤穂浪士が討ち入ったのは、吉良邸で茶会が催された14日の深夜であるから、正しくは15日の未明である。
当日の記録から、江戸の人々がどのような日付概念を持っていたのか、うかがい知ることができる。桑名藩の江戸詰の家老の文書には、赤穂浪士が吉良邸へ討ち入った時刻を
「昨十四日の夜八つ時ごろ」
と、記しているらしい。
夜八つ、つまり丑の刻。今で言う、だいたい午前二時前後。
落語「時そば」でおなじみで、蛇足でもありましょうが、念のため。
日没。入相の鐘が鳴りますれば、これを暮れ六つ。
それからだいたい2時間後が、宵の五つ。刻限表示の数は、増えないで減っていきます。
さらに更けて夜四つ、亥の刻。だいぶ夜中ですね。現在の22時ごろでしょうか。
亥から十二支の先頭へ戻りまして子の刻。ほぼカウントダウンな時間帯。これがどういうわけでか、九つ。
さらに2時間ぐらい経って牛の刻、夜八つ。
寅の刻ともなりますと、暁の七つ。
…やがて、からすカァで夜が明けますと、明け六つ。明けの鐘がゴーーーーンと鳴る、と。
なんで大体…という表現しかできないかというと、このころは朝日が昇ると昼間で、沈むと夜。その二つに分けた区分を、それぞれに6等分して一日イコール十二刻を決めていたので、季節によって一刻の長さが変わるわけだ。
むかしの時刻法は面白い。
欧米化された現代の感覚で時代劇を料理しようとすると、思いがけない勘違いをすることになるから、当時の人々の考え方、概念というものを理解したうえで想像して、そっと思いやりつつ噛み砕いていく。
そんなことをつらつら考えていたら、新暦の新年カウントダウンイベントで「あけましておめでとう」というのは、本寸法じゃないんじゃないかしら…と、はたと思い至った。
だって、いまだ夜は明けていないのだもの。
夜明け前は、新しい一日の始まりではないのだ。
だから来年から、カウントダウンの時は欧米式に「新年おめでとう!」と言うことにしよう。
時刻を読み込んだ文章というと第一に思い浮かぶ、ものすごく好きな詞章がある。
♪あれ 数ふれば暁の 七つの時が六つ鳴りて 残るひとつが今生の 鐘の響きの聞き納め…
近松門左衛門「曽根崎心中」お初と徳兵衛が、死に場所を求めて天神の森へと進みゆく場面。
あぁ…やっぱり、近松は天才じゃないかしら。