たしかに、先日、常日頃たいへんお世話になっている若柳の先生の御一門の新年会に呼んでいただいた際、宴会の余興に和藤内の虎退治拳が出たが、その話ではありません。
このところキナ臭いけれど、山本五十六の話でもありません。12月8日もとうに過ぎたし。
今月の国立劇場・文楽東京公演は3部制で、朝の部に『摂州合邦辻(せっしゅう・がっぽうがつじ)』の通しが出ている。
(ときに、せっしゅう=摂津の国、と打とうとして「接収」としか変換できなかったのは、私の前振りのせいでもあろう)
歌舞伎好きには『合邦』。世間的にはこの話は、能『弱法師(よろぼし)』、現代劇でいえば寺山修司→蜷川版『身毒丸』ですよ、と言ったほうが通りがよいだろうか。
歌舞伎では物語の収束部分である「合邦庵室の場」しかやらない。
私の記憶の中では、7代目梅幸as玉手御前、17代目羽左衛門as合邦が、鮮やかである。
薄暗い舞台に浮かび上がる、梅幸の玉手の白い面は、何やらなまめかしく妖しく、それに対する羽左衛門の実直な合邦が印象的で、その時、俊徳丸も浅香姫も誰が演ったのか想い出せない。
いや、想い出す必要はないのかも知れない。
玉手御前の死に様を観る、芝居であったからだ。
であるから、私は「朝イチから玉手御前…」と、朝食にステーキかうな重を食べに行くような心算で、ちょっと覚悟して国立劇場に向かったのだ。
ところがである。
今回の公演はその前段である「万代池(ばんだいいけ)の段」からの上演だった。
多くは申しますまい。文楽ブラボー!!
こんなに面白く愉しく、合邦を観たことが今まであったろうか。
(理由が知りたい方はぜひ劇場へお運びくださいませ。今月25日までやってます。)
それで私は、あぁ、この話は説教節だったなぁ、と、この物語の本来へ思い致すことができた。
仏教を拡めるため、また、信者たちへ教義を織り込んだメッセージ性のある祝祭劇のようなものでもあったわけだ。
冒頭、貴種流離譚の手本がごとき顔が崩れる病を得た俊徳丸が、四天王寺に乞食の態となり身の上を嘆くところへ、梅の花びらがはらはらと散りかかる。
♪…折節 さっと春風の すげなく誘う梅の花 袖や袂に降りかかれば…
床の清友さんの三味線はやわらかくて、馥郁たる梅の香がした。
しみじみとしていると次には気分転換ができるように、楽しいチャリ場があったりする。
日本の伝統芸能は、長い年月多くの人の手を経て再演され続けているから、サービス精神もちゃんと磨かれているわけで、気が利いているのだ。
見もしないで難しい…と言うことの愚を知ってほしい。
合邦が寄付金を募るため、勧進ダンスと名付けたい念仏踊りでひとしきり賑やかになる。人形ってこんな時、シュールで愉しいのだ。生身の人間がやると、このほのぼの感が出ませんからね。
こうした前段の後で、庵室の場を観ると、印象が全く違う。
文楽はやはり、大阪の芸能だ。
歌舞伎ではあっさり幕引きとなるが、文楽は、早く飲ませないと生き血じゃなくなるんじゃー…と、観客が心配するほどこってり、泣かせつつ笑わせる要素をも入れ込んでいる。
玉手御前はホントはやっぱり、俊徳丸に恋慕していたんじゃないの…?というのが、よく取り沙汰されるが、今回の合邦を観て私は気がついた。
そんなことはどうでもいいのだ。あまり大筋と関係ない瑣末な考察だ。
これはたぶん、因果応報を説く、仏教のお話なのだ。
ならぬものはならぬ…という場合は諦めなさい、と言っているのだ。
人間は、自分にしかできないこと、自分でしかなり得ない存在を求めて、生きていく。
仕事でそういう者になり得たスペシャリストは伝説の人になり、プライベートでそういうものになり得た人は、父や母になる。
妻や恋人、人間関係にはいろいろな関わり合いがありますが、血縁関係…自分を生み出した両親は、子どもにとっては、唯一無二、たった一人の特別な人である。
玉手御前は、寅の年・寅の月・寅の日・寅の刻に生まれたがために、俊徳丸の窮地を救うという、彼にとってはたった一人の人となる。恋愛という限定的なものじゃなく。
彼女はどれだけ誇らしい気持ちで、死んでいったことであろうか。
恋を勝ち得た浅香姫より何より、彼女は俊徳丸の特別なひとになったのだ。
さて、実は私は、寅の年寅の月寅の刻に生まれた女なのだ。
だからずっと、私が生まれた日は何だったのだろう…と気にかかっていた。
もう20年前、カタギの会社勤めをしていた頃、社内の先輩がその話を聞いて、暦を調べてくださったことがあった。あまり親しいわけでもなかったのに、気にとめて下さって、ほんとうに私は嬉しかった。
私は、寅の年、寅の月、午(うま)の日、寅の刻に生まれた女だった。
嬉しく思いながらも…ぅぅむ、伝説の女になり損ねた、と、私は軽く歯がみした。
このところキナ臭いけれど、山本五十六の話でもありません。12月8日もとうに過ぎたし。
今月の国立劇場・文楽東京公演は3部制で、朝の部に『摂州合邦辻(せっしゅう・がっぽうがつじ)』の通しが出ている。
(ときに、せっしゅう=摂津の国、と打とうとして「接収」としか変換できなかったのは、私の前振りのせいでもあろう)
歌舞伎好きには『合邦』。世間的にはこの話は、能『弱法師(よろぼし)』、現代劇でいえば寺山修司→蜷川版『身毒丸』ですよ、と言ったほうが通りがよいだろうか。
歌舞伎では物語の収束部分である「合邦庵室の場」しかやらない。
私の記憶の中では、7代目梅幸as玉手御前、17代目羽左衛門as合邦が、鮮やかである。
薄暗い舞台に浮かび上がる、梅幸の玉手の白い面は、何やらなまめかしく妖しく、それに対する羽左衛門の実直な合邦が印象的で、その時、俊徳丸も浅香姫も誰が演ったのか想い出せない。
いや、想い出す必要はないのかも知れない。
玉手御前の死に様を観る、芝居であったからだ。
であるから、私は「朝イチから玉手御前…」と、朝食にステーキかうな重を食べに行くような心算で、ちょっと覚悟して国立劇場に向かったのだ。
ところがである。
今回の公演はその前段である「万代池(ばんだいいけ)の段」からの上演だった。
多くは申しますまい。文楽ブラボー!!
こんなに面白く愉しく、合邦を観たことが今まであったろうか。
(理由が知りたい方はぜひ劇場へお運びくださいませ。今月25日までやってます。)
それで私は、あぁ、この話は説教節だったなぁ、と、この物語の本来へ思い致すことができた。
仏教を拡めるため、また、信者たちへ教義を織り込んだメッセージ性のある祝祭劇のようなものでもあったわけだ。
冒頭、貴種流離譚の手本がごとき顔が崩れる病を得た俊徳丸が、四天王寺に乞食の態となり身の上を嘆くところへ、梅の花びらがはらはらと散りかかる。
♪…折節 さっと春風の すげなく誘う梅の花 袖や袂に降りかかれば…
床の清友さんの三味線はやわらかくて、馥郁たる梅の香がした。
しみじみとしていると次には気分転換ができるように、楽しいチャリ場があったりする。
日本の伝統芸能は、長い年月多くの人の手を経て再演され続けているから、サービス精神もちゃんと磨かれているわけで、気が利いているのだ。
見もしないで難しい…と言うことの愚を知ってほしい。
合邦が寄付金を募るため、勧進ダンスと名付けたい念仏踊りでひとしきり賑やかになる。人形ってこんな時、シュールで愉しいのだ。生身の人間がやると、このほのぼの感が出ませんからね。
こうした前段の後で、庵室の場を観ると、印象が全く違う。
文楽はやはり、大阪の芸能だ。
歌舞伎ではあっさり幕引きとなるが、文楽は、早く飲ませないと生き血じゃなくなるんじゃー…と、観客が心配するほどこってり、泣かせつつ笑わせる要素をも入れ込んでいる。
玉手御前はホントはやっぱり、俊徳丸に恋慕していたんじゃないの…?というのが、よく取り沙汰されるが、今回の合邦を観て私は気がついた。
そんなことはどうでもいいのだ。あまり大筋と関係ない瑣末な考察だ。
これはたぶん、因果応報を説く、仏教のお話なのだ。
ならぬものはならぬ…という場合は諦めなさい、と言っているのだ。
人間は、自分にしかできないこと、自分でしかなり得ない存在を求めて、生きていく。
仕事でそういう者になり得たスペシャリストは伝説の人になり、プライベートでそういうものになり得た人は、父や母になる。
妻や恋人、人間関係にはいろいろな関わり合いがありますが、血縁関係…自分を生み出した両親は、子どもにとっては、唯一無二、たった一人の特別な人である。
玉手御前は、寅の年・寅の月・寅の日・寅の刻に生まれたがために、俊徳丸の窮地を救うという、彼にとってはたった一人の人となる。恋愛という限定的なものじゃなく。
彼女はどれだけ誇らしい気持ちで、死んでいったことであろうか。
恋を勝ち得た浅香姫より何より、彼女は俊徳丸の特別なひとになったのだ。
さて、実は私は、寅の年寅の月寅の刻に生まれた女なのだ。
だからずっと、私が生まれた日は何だったのだろう…と気にかかっていた。
もう20年前、カタギの会社勤めをしていた頃、社内の先輩がその話を聞いて、暦を調べてくださったことがあった。あまり親しいわけでもなかったのに、気にとめて下さって、ほんとうに私は嬉しかった。
私は、寅の年、寅の月、午(うま)の日、寅の刻に生まれた女だった。
嬉しく思いながらも…ぅぅむ、伝説の女になり損ねた、と、私は軽く歯がみした。