3.11の四日ほどのち。稽古場へ向かう井の頭線の、いつもなら車窓からの景色など望めようもないほど混んでいる車内はガラガラで、最近凝っている詰将棋の本を読む気にもなれず、ぼんやりと、正面の窓から外の景色を眺めていたら、真紅色の桃の花が見えた。
「柳はみどり、花はくれない」。いつの間にか、そんな季節になっていた。
地上に何が起きようと、四季はめぐり、花は再び開く。
そういえば、今年は沈丁花の匂いに気がつかなかった。…そう思ったあとの彼岸のうちに、知人の葬儀に向かった先で、かの花の今年もあるに気づいた。かすかな香りに在りかを探すと、葬祭場の門柱のわきに、うつむいて咲いていた。
…そして昨日。気がつけば、桜が咲いていた。偶然、開花宣言の、染井吉野の標本木のある九段の辺りにいたのだが、私は北の丸公園から竹橋のほうへ歩いていた。千代田城の石垣を眺めながらお濠端をゆけば、大寒桜、寒緋桜も、枝をたわわの花盛り。
「サクラサク」。日本人には特別な呪文であるこの言葉を、迂闊にも失念していたのだった。
人間は桜の花を、自分が生きていた年数と同じ回数しか、見ることができない。
考えてみれば、四季折々に咲く花はすべてがそうなのだが、とりわけ桜は人々を、今日を逃したらもうめぐり会えないような、刹那的な切ない気持ちにさせる。
咲いている期間が短いから、想い出が圧縮される。これが常夏の国のハイビスカスだったら…あれはハイビスカスの花の咲くころ…って、いったいいつだっけ?年がら年中咲いてるしぃ~的な感じになってしまう。
「…散る花にも風情がある」と、真山青果『番町皿屋敷』の序盤で、青山播磨はつぶやく。梅は咲き初(そ)めたときが絶品だが、桜は散りかかった姿がいとしくて、えも言われぬ。
以前、現・勘三郎が春に旅立った歌舞伎役者の話をしていた。それが、自身の父・先代中村屋の葬儀の折のことだったか、六世歌右衛門のときだったのか、あいにく忘れてしまったのだが。
やはり桜のころの葬式で、亨兄さんの棺桶に、桜の花びらがはらはらと降りかかり、それがとてもきれいで、そしてとても悲しかったことを想い出した…と、語っていたことだけ覚えている。
亨兄さんとは、紀尾井町の初代・辰之助である。連獅子の、キリリきっぱりとしたまなじりが、今も瞼に浮かぶ。私が最後に辰之助を観たのは、亡くなる前年の昭和61年、国立劇場開場20周年記念(たぶん)公演の、『仮名手本忠臣蔵』五段目、斧定九郎である。
顔色がもう真っ青で、ぞっとするほど鬼気迫る定九郎だった。稲木からぬっと伸び出た腕と手指のかたち。鉄砲の玉が体に入って、口からたらたらと血筋を流してジタバタ蠢くそのさま。
聞けばその月、実際に楽屋で、血を吐きながら勤めていたそうである。
圓生や彦六の正蔵の「中村仲蔵」のテープを聴くたび、私はずいぶん長い間、辰之助のことを想い出さずにはいられなかった。
春しあれば 今年も花は咲きにけり
散るを惜しみし 人は いつらは
鴨長明の歌である。
春になって、今年もまた再び、桜の花は咲いた。昨年、桜の花が散るのを惜しんでいたあのお方(たしか長明の父上のことだと記憶している)は、どこに行ってしまったのだろうか…桜の花は今年も咲いたけれど、花の寿命の短いのを残念がっていた父自身が、今年はもうこの世にいない。
亡くなった父君への挽歌である。
そして今年も、桜は咲く。
「柳はみどり、花はくれない」。いつの間にか、そんな季節になっていた。
地上に何が起きようと、四季はめぐり、花は再び開く。
そういえば、今年は沈丁花の匂いに気がつかなかった。…そう思ったあとの彼岸のうちに、知人の葬儀に向かった先で、かの花の今年もあるに気づいた。かすかな香りに在りかを探すと、葬祭場の門柱のわきに、うつむいて咲いていた。
…そして昨日。気がつけば、桜が咲いていた。偶然、開花宣言の、染井吉野の標本木のある九段の辺りにいたのだが、私は北の丸公園から竹橋のほうへ歩いていた。千代田城の石垣を眺めながらお濠端をゆけば、大寒桜、寒緋桜も、枝をたわわの花盛り。
「サクラサク」。日本人には特別な呪文であるこの言葉を、迂闊にも失念していたのだった。
人間は桜の花を、自分が生きていた年数と同じ回数しか、見ることができない。
考えてみれば、四季折々に咲く花はすべてがそうなのだが、とりわけ桜は人々を、今日を逃したらもうめぐり会えないような、刹那的な切ない気持ちにさせる。
咲いている期間が短いから、想い出が圧縮される。これが常夏の国のハイビスカスだったら…あれはハイビスカスの花の咲くころ…って、いったいいつだっけ?年がら年中咲いてるしぃ~的な感じになってしまう。
「…散る花にも風情がある」と、真山青果『番町皿屋敷』の序盤で、青山播磨はつぶやく。梅は咲き初(そ)めたときが絶品だが、桜は散りかかった姿がいとしくて、えも言われぬ。
以前、現・勘三郎が春に旅立った歌舞伎役者の話をしていた。それが、自身の父・先代中村屋の葬儀の折のことだったか、六世歌右衛門のときだったのか、あいにく忘れてしまったのだが。
やはり桜のころの葬式で、亨兄さんの棺桶に、桜の花びらがはらはらと降りかかり、それがとてもきれいで、そしてとても悲しかったことを想い出した…と、語っていたことだけ覚えている。
亨兄さんとは、紀尾井町の初代・辰之助である。連獅子の、キリリきっぱりとしたまなじりが、今も瞼に浮かぶ。私が最後に辰之助を観たのは、亡くなる前年の昭和61年、国立劇場開場20周年記念(たぶん)公演の、『仮名手本忠臣蔵』五段目、斧定九郎である。
顔色がもう真っ青で、ぞっとするほど鬼気迫る定九郎だった。稲木からぬっと伸び出た腕と手指のかたち。鉄砲の玉が体に入って、口からたらたらと血筋を流してジタバタ蠢くそのさま。
聞けばその月、実際に楽屋で、血を吐きながら勤めていたそうである。
圓生や彦六の正蔵の「中村仲蔵」のテープを聴くたび、私はずいぶん長い間、辰之助のことを想い出さずにはいられなかった。
春しあれば 今年も花は咲きにけり
散るを惜しみし 人は いつらは
鴨長明の歌である。
春になって、今年もまた再び、桜の花は咲いた。昨年、桜の花が散るのを惜しんでいたあのお方(たしか長明の父上のことだと記憶している)は、どこに行ってしまったのだろうか…桜の花は今年も咲いたけれど、花の寿命の短いのを残念がっていた父自身が、今年はもうこの世にいない。
亡くなった父君への挽歌である。
そして今年も、桜は咲く。