自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

余生を送るって何歳から?

2025年02月12日 | なかま道志ベース

先日、長男坊の誕生日のお祝いラインの返信で「余生は健康で・・・」とありました。

まだ、その言葉(余生)が耳に残っています。

ふと若き日のことを思いましました。

学生時代はワンゲル(登山部)とバイトの明け暮れでした。

当時は学生運動真っただ中で、ほとんど閉校状態でしたね。

バイトは理工学部土木工学科ですので、東名高速道(駿河小山)付近の山で測量や土カチン(土木作業員)として、山中の半場小屋(作業員と一緒に生活する)に寝泊まりしていました。まだ東名高全面開通していない頃です。

まぁ~このころは青春時代を謳歌していたのでしょう。

そんな時に(実際は高校生時代から)、海外に憧れていて移住まで考えていたのです。

渡航する予定が決まりました。当初は知り合いの船会社幹部の紹介で食費だけで貨物船でカナダを目指していたのですが、船員ストにより、急きょ同船は乗ることが出来ないことからカナダ行きは取りやめたのです。

しかし、国外を見たいの一心から米国に行く貨客船「プレジデントクリーブランド号」で、先ずはサンフランシスコを目指すことにしました。

そして選んだのは、当時は一番安い貨客船の利用です。一等部分は豪華ですが、仕切りがあって私は二等地域(個室もありますが)、アジア圏から移民する家族や安い旅行を楽しむ若者たちで一杯した。

私はエンジンルーム近くの二段ベットの大部屋でした。(30人くらいはは入れる部屋です)

トイレ・シャワーなどは共同ですが、食事は豪華で円形テーブルで10人くらいが着座できます。

ナイフやフォークなどが何本も並ぶような、結婚式のような食でした。。

学友の北海道出身の湯〇も見送ってくれました。(昨年、奥さまから訃報のはがきが届きました)。オイ!湯〇なんで逝っちゃたのかよ~と涙しました。関西出身の松〇もです。昨年はストレスで帯状疱疹とか大腸で入院したとのことです。

再び「余生を健康で・・・」を思い出しました。

母親も見送ってくれました。フィリピンから移民する子が一緒にパチリです。

これらの写真は高校生時代の大〇が撮ってくれたものです。

フィルムカメラで、自分で現像したものです。あいつも斑尾でペンションを開設していましたが、今ではそのペンションも売って音信不通になっています。

色とりどりのテープが投げられ、出港のドラがなりました。

米軍の音楽隊が演奏しています。

船は1週間かけてハワイに到着し、そしてまた1週間かけてサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジに到着(2週間)する船旅になります。

これから米国・カナダ(一部)メキシコ国交付近など北米一周の一人旅が始まりました。

この志しや経験と若さが、私の人生の起点だと思っています。仕送りも無く、学校に行ったりアパート暮らし、日本食レストラン「琴」でのバイト・・・。怖い(危ない)こともたくさんありましたが良い経験となりました。

21歳のこれが出発点として、今の私を作て来たのでしょう。しかし もう77歳近くになりました。

これからの余生は健康で、緩やかな下り坂になることを願っています。

何でも、経験することが自信につながり、行動することを苦にしない私です。健康が資本だと痛感している毎日です。週に3日以上はジムで2時間半過ごし、2日はダンスの練習に、その合間をぬって道志での通い生活に励んでいます。

 

Hiro