女生徒 一九三六
太宰治原作の映画「女生徒 一九三六」をシネマ・ジャックで見てきた。
この映画は4つの太宰の作品「燈籠」「女生徒」「きりぎりす」「待つ」から構成されている。全て女性の告白という当時としては、異色の文体で書かれ、映画もほぼ全編一人の女性の語りから出来上がっている。なかなか見ごたえのある映画だった。
太宰治は私がブログ「人間失格」で書かせて頂いたように高校時代に衝撃を受けた小説家の一人である。しかし振り返ってみると「斜陽」とその他数編読んだだけで、それほど太宰治について知っている訳ではなかった。今回、この映画を見たことで、もう一度、太宰治に会ってみたかった。私は、「人間失格」にも共通にみられる”告白の文体”に注目した。
この映画の題でもある”一九三六”は、日中戦争開戦の前年、二・二六事件が起こり、日本が軍国主義の道へ走り出した年である。太宰はこの軍国主義の時代に、そして敗戦後の時代を駆け抜けていった小説家だった。この”戦争”という時代は、太宰を語るのに外せないと思った。彼は一貫してこの軍国主義を批判している。太宰が活躍した時代は軍部からの厳しい検閲があった。つまり言論の自由は抑圧され、共産主義などの左翼活動をすれば、すぐさま弾圧されてしまう。主義主張を行えば、即刻監獄行きである。軍国主義かくあるべき時代がまかり通った時代だ。太宰は主義主張を高らかに言えない自分の思いを”告白”という一人称の主観を通して、綴ったのではないだろうか。
また、この映画を見て、太宰は芥川龍之介のように古き日本のつつましい文化が退廃していくことに幻滅していたのではないだろうかとMeは思った。失われていく日本を必至に取り抱えんとして、この女性という異性の”告白”で、それを語っているような気がした。かたくなで芯が強く、そして当時としては弱い立場にあった女性に。そして”告白”の下に隠れるように滑りこまされた軍国主義の時代に対する”抵抗”を感じた。
敗戦後も太宰は一貫して自分を貫き通したのだと思う。しかし戦後に待っていたのは、欧米からもたらされた過剰な文化と合理主義。もはや古き日本の文化など忘れたかのように人々は豊かになっていき、戦後民主主義を高らかに謳った。多分、快活な時代を華々しく謳歌した三島由紀夫などは、太宰がもっとも嫌悪する小説家であったであろう。
太宰は閉塞していく自分を自虐的告白で綴った「人間失格」を世に送り出し、最後は自殺して果てた。古き日本を愛す文化人が一人消えて、時代は去っていったのだ。
映画「女生徒 一九三六」は、そんな太宰の思いをみずみずしい映像で形にした映画であると思った。見て良かった。
太宰治原作の映画「女生徒 一九三六」をシネマ・ジャックで見てきた。
この映画は4つの太宰の作品「燈籠」「女生徒」「きりぎりす」「待つ」から構成されている。全て女性の告白という当時としては、異色の文体で書かれ、映画もほぼ全編一人の女性の語りから出来上がっている。なかなか見ごたえのある映画だった。
太宰治は私がブログ「人間失格」で書かせて頂いたように高校時代に衝撃を受けた小説家の一人である。しかし振り返ってみると「斜陽」とその他数編読んだだけで、それほど太宰治について知っている訳ではなかった。今回、この映画を見たことで、もう一度、太宰治に会ってみたかった。私は、「人間失格」にも共通にみられる”告白の文体”に注目した。
この映画の題でもある”一九三六”は、日中戦争開戦の前年、二・二六事件が起こり、日本が軍国主義の道へ走り出した年である。太宰はこの軍国主義の時代に、そして敗戦後の時代を駆け抜けていった小説家だった。この”戦争”という時代は、太宰を語るのに外せないと思った。彼は一貫してこの軍国主義を批判している。太宰が活躍した時代は軍部からの厳しい検閲があった。つまり言論の自由は抑圧され、共産主義などの左翼活動をすれば、すぐさま弾圧されてしまう。主義主張を行えば、即刻監獄行きである。軍国主義かくあるべき時代がまかり通った時代だ。太宰は主義主張を高らかに言えない自分の思いを”告白”という一人称の主観を通して、綴ったのではないだろうか。
また、この映画を見て、太宰は芥川龍之介のように古き日本のつつましい文化が退廃していくことに幻滅していたのではないだろうかとMeは思った。失われていく日本を必至に取り抱えんとして、この女性という異性の”告白”で、それを語っているような気がした。かたくなで芯が強く、そして当時としては弱い立場にあった女性に。そして”告白”の下に隠れるように滑りこまされた軍国主義の時代に対する”抵抗”を感じた。
敗戦後も太宰は一貫して自分を貫き通したのだと思う。しかし戦後に待っていたのは、欧米からもたらされた過剰な文化と合理主義。もはや古き日本の文化など忘れたかのように人々は豊かになっていき、戦後民主主義を高らかに謳った。多分、快活な時代を華々しく謳歌した三島由紀夫などは、太宰がもっとも嫌悪する小説家であったであろう。
太宰は閉塞していく自分を自虐的告白で綴った「人間失格」を世に送り出し、最後は自殺して果てた。古き日本を愛す文化人が一人消えて、時代は去っていったのだ。
映画「女生徒 一九三六」は、そんな太宰の思いをみずみずしい映像で形にした映画であると思った。見て良かった。