ナカナカピエロ おきらくごくらく

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メガリーク

2011-02-28 01:21:59 | 日記
メガリーク

メジャーリーグではない。メガリークだ。

NHKの番組 追跡AtoZで、あるベンチャー企業が大量(メガ)の顧客情報を流失(リーク)してしまい、顧客から抗議の電話が殺到し対応に追われる現場を取材していた。犯人は嘱託で勤務していた男性で、社内では重要書類も簡単にアクセスできたという。

某大国の企業は日本の大手会社の社員(管理職含む)を多額の金額で買収して、重要な技術情報をあらん限り持ち出させ、やばくなると退職させて、某大国の企業に就職させると言った悪質なことをやっているそうだ。

しかし消され削除されたデータを復元させ、証拠を明らかにする会社があると聞き、それはそれで驚いた。

我社も企業のコンプライアンス遵守について、会社側から何度も言い聞かされているが、この番組を見て、ぞっとした。確かにコンプライアンス遵守についてやりすぎということはないのだと改めて思った。
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床屋

2011-02-27 03:06:39 | 日記
床屋

今日、床屋に行ってきた。

母から何度も行け行けと言われ、しょうがないなと思って行った。今通っている床屋のお兄さんは、なじみで私の要望をよく分かってくれているので、うれしい。「いつものように。」というと、いつものように切ってくれるので安心だ。

昔から髪が長かったので、小さい頃は、よく女の子に間違えられた。父は丸刈りにしろと言っていたらしいのだが、母はそれをよく思わなかったらしい。昔から長かったので、それで慣れてしまい、今でも髪が長いと安心する。

中学の時は髪の毛の長さにうるさかった。前より床屋に行く回数が増え、細く柔らかかった髪質は固く太くなっていった。同じクラス、同じ部活で、髪が長かった友達が、ある日、体育の先生に「おまえ髪が長いなあ。後で俺の所へこい。」と言われ、次の日会ったらバリカンで五厘まで頭を剃られ落ち込んでいた。全くひどい話だ。

私は天然パーマなので、ストレートの髪に憧れていた。いつもドライヤーでまっすぐにするのだが、湿気が高い6月など、くせっけな髪に戻ってしまうので、この髪質が嫌いだった。いつぞや眠っている間に髪の毛が生き物のように動いてつる植物のようにベットに絡んでいたりしていした。(冗談です)

高校以降は伸ばし放題。床屋に行く時は、さすがに自分でもうっとうしいなと思った時だった。また私には髪を切った翌日の日は嫌なことが起こるというジンクスがあり、それもあって床屋には、なるべく行きたくなかった。

天然パーマなので伸ばすと放射状に伸び、天然アフロになる。入社後もこれは変わらなかった。今でも床屋に行けと誰も言われなければ、多分、うっとうしくなるまで、ほったらかしだろう。

ある日の土曜、寮で寝ていると、父が寮までやって来た。近くのファミレスに連れていくと、父は「髪を切れ」と言った。そんなことを言いに来たのかと思ったが、しょうがない。私はその足で床屋に行った。ほどなくして父が他界した。職場の年かさの人から、親父さんはおまえの髪の心配をしてなくなったんだ、とからかわれた。

今では白髪頭だ。前髪の一部分だけ特に白髪になっていて、まるでブラックジャックのような頭だ。”おひとりさま”になったら金髪か真っ赤に染めてやろうかと思っている。
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あしたのジョー

2011-02-26 00:44:39 | 日記
あしたのジョー

最近「あしたのジョー」の実写版が映画化された。
伊勢谷さんには悪いがこの映画はみないだろう。それだけアニメに強烈に思い入れがある。(伊勢谷さんは「金髪の草原」以来、私が注目している俳優の一人。)

よく、あしたのジョー2の最終回が取りざたされる。矢吹ジョーは果たして死んだのかどうか。。。

私にはあしたのジョー、あしたのジョー2のテレビアニメで各々好きな場面が2つある。

ひとつは、力石徹がついに減量に耐えかね、自ら入った倉庫から、出してくれ!と鉄の扉を叩いて叫び、ついに叩き壊して、恥も外聞のなく、一心不乱に気が狂ったように「水はどこだ!減量はやめだ!」と暴れだす。しかしどの水道も針金でぐるぐる巻きに固められてまわらない。力石徹は愕然とする。そこへボクシングジムのオーナーである白木ようこが、さ湯を手渡たすが、力石徹はそこで我に返り、差しだしたさ湯を床にこぼして、矢吹との対決を決意するシーン。

もうひとつは過酷な減量の末、東洋太平洋チャンピオンのキムから逆転KOをなすシーン。矢吹ジョーはぼろぼろになるまで殴られ続け、何度もダウンを喫しながらも立ち上がり続け果敢に立ち向かう。何度でも立ち上がる矢吹ジョーに次第に恐れをなし、逆に精神的に追い詰められいくキム。最後は幼少期の自分のトラウマに負け、矢吹ジョーに完全に破壊されてしまう。

そこには自分を追い込み、体力的にも精神的にも自分の限界を超え、ぼろぼろになりながらもそれを克服していく人間の姿が描かれている。

私もそのような状況に追い込まれ、気が狂いそうになったとき、矢吹ジョーと力石徹を思い出すのである。
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血液検査

2011-02-25 00:39:03 | 日記
血液検査

血液型はA型。

現在、私は高脂血症で三カ月に一回、内科に通院している。今日がその日だ。

血液検査は苦手である。
入社して最初の健康診断で採血して、気分が悪くなり、ベットで横になって以来、苦手になってしまった。それまでは全然平気だったのだが。。。一応事前の問診で「気分はどうですか?」と聞かれ、「悪いです。」と返答したのだが、「でも大丈夫ですから。」と言って採血してもらったら、さらに気分が悪くなり、採血をしていただいた若い女性の保健士(?)が慌てふためいて、ベットに連れていただき申し訳ないことをしてしまった。それ以来、採血は寝てとることにしている。

そして三カ月に一回行われる内科の診察はさらに憂鬱だった。リピトールという最強の薬を服用しているにも関わらず、悪玉コレステロールが一向に減らないからである。そして毎回、内科の先生に怒られるからである。

その内科の先生は、ねっちりした感じで、「どうしましょうかねえ、ナカナカピエロさん。」と言われるのだ。どうしましょうって言われても、困るんですけど。何と答えれば良いのか分からず黙っていると、「まあ食事と運動ですかねえ。」とこれまで言われ続けた同じお説教が始まり、私は全く言いわけできないでいるのである。

まさしく今日も同じだった。はは。。。。。
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同期の死

2011-02-24 03:37:00 | 日記
同期の死

同期の訃報がメールで来た。
名前はなんとなく覚えていたが、顔が思い出せない。

同期の死は初めてだ。これからは徐々にこういうメールが増えていくのだろうかと思うと感慨深い。ちょっと早すぎる死だが、死に半分片足突っ込んで、生を憂えている私にとっては複雑だ。せめて親が生きている間は生きていなくては、とだけは思う。

よく猫は死に場所を選ぶというが、私はそんな風に死にたい。誰も私が死んだかどうか分からない。誰も私を知らない。肉体がなくなり、人の記憶からも消える。存在が無になる。完全に病んでいるな。。。魂が。。。

次は私かもしれない。
これを機にそろそろ私も身の処し方を心得ておくべきだ。

後記
母に付き合わされて、「戦場のピアニスト」を見た。良い映画だけど、戦争の映画は気が滅入る。戦争に限らず、人間を物としか扱わない行為、それを遂行する者は、もはや人間ではない。悪魔に魂を売ったPhantomである。Phantomは白昼のもとで処刑せねばならない。それで人間の尊厳は保たれる。そしてそれを生み出したものが、本当のPhantomなのかもしれない。そのPhantomは全ての人に平等に分配されて、そして盲目に伏されるのだ。原罪とはこういうことを指すのだろうか。。。まあ、そんなことはどうでもいい。とりあえず今日は眠ろう。疲れた。とても眠い。
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悲しみの出張 海外渡航編 (2)

2011-02-23 01:34:30 | 日記
悲しみの出張 海外渡航編 (2)

二日目、部長は別の場所に出張していなくなり、通訳の人の助けもあって、非常に有意義なディスカッションができた。読んでほしくて持ってきた洋書もプレゼントだと言って渡した。彼らは本の中身よりも表紙の「有麟堂」の文字に興味を示していた。彼らと分かれ、明日は帰国するだけ。

夕飯は同行していた先輩とファーストフードみたいなお店で食べた。ミートボールが野球のボールのように大きかったのには驚いた。先輩からは、ホテルの清掃員にチップを忘れないよう言われた。先輩はもう一日滞在する。

現地の会社の方から、部屋で待っているように言われた。共同タクシーが来たら呼んでくれるという。しかし一向に電話がかかってこない。窓の外を見たら、ミニバスがホテルの前をぐるぐる回っているのを見つけ、慌ててかけより、車を止めた。焦って荷物を持って、チェックアウトしようとしたが、お釣りがなかなか出てこない。 急がせた私は「Sorry, It's my trouble.」と言って詫びた。もしこのミニバスに乗れなかったら、と考えるとぞっとする。

バスには違う会社の日本人の方が乗っていたので助かった。空港では日本語がしゃべれるというメキシコ系アメリカ人が案内してやろうといった感じで話し掛けてきたが、言っている日本語はめちゃくちゃだった。それにも関わらず、それが私の非であるかのような仕草をしていた。もうどうでもいい。無視。

とにかく、帰りの飛行機に乗ることができた。もうこの時点で、私の出張は終わっていた。後は帰るのみだ。

後記
悲しみの出張シリーズはここで一旦筆を置く。
ここでは思い出深いものをつづってみた。今から思うと皆、楽しい思い出である。何だかんだと言っても、私は上長に恵まれている。皆、時同じくして戦った戦友なのだ。
この年になっても相変わらず餓鬼のままだが、その餓鬼ぶりが面白いのか、首にならずに今だに雇ってもらっている。ありがたいことである。
しかし私には、まだまだ壮絶な体験がある。それはまた後日書かせて頂こう。
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悲しみの出張 海外渡航編 (1)

2011-02-22 01:14:33 | 日記
悲しみの出張 海外渡航編 (1)

随分前のお話だが。。。。

二週間か一週間前になって、急遽 アメリカ カルフォルニアに出張することになった。開発委託先の会社への出張だ。二泊三日の短期出張。

海外に足を踏むのは初めてだ。それ以来、行っていない。

同じ部の先輩が同じ会社へ海外出張するため、私も一緒に行かせようと思ったのだろう。言わば、武者修業だ。不安だらけの中、周りでは特殊部隊のような速さで、「航空機のチケットとホテルの予約とりました。」とか「パスポート明日、取りに行ってください」とか段取りが決まり、外堀は埋まった。

飛行機から降りると、手配されていたキャデラックで移動しホテルにチェックイン。現地で部長とあった。その日の夕食は委託した会社で働いている日本人の女性スタッフに連れられ、ステーキとロブスターを食べた。めちゃくちゃ大きくて全部はたべられなかった。もったいない話だ。

翌日、朝から現地スタッフと部長を交えミーティング。向うの方が気を利かせてくれ通訳の人をつけてくれたが、部長から「これは、ナカナカピエロ君の語学力を鍛えるためでもあるので。」と、通訳せずに英語で話し、英語で聞くよう指示された。もう一杯一杯だった。

夕飯はレストランでご馳走になった。そう言えば昔、20才年上の先輩が、「これって俺が予算を立てた時に色をつけて出した金だよなー」と言っていたのを思い出した。その頃、予算を立てていたのは私だ。ちょっと複雑だった。
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悲しみの出張 赤坂編

2011-02-21 01:55:44 | 日記
悲しみの出張 赤坂編

随分、昔の話。多分、赤坂だったと思う。

金曜日の夜11:00に会社の寮に帰り、部屋に入って少し休んでいたら、電話が鳴り、取ってみると部長からだった。

現在障害対応でひとり欠員が出たので代わりに出てくれないか、と持ちかけられた。その欠員とは前の私の上司で、代役として私は名指しされたのだ。

明日9時、とある会議室ヘ言ってみると部長の更に上の人や部課長しかおらず、担当者レベルは私一人。そこで午後3時まで打ち合わせを行い、夜10:00 現地集合となった。事情の知らない私は黙って聞いていた。

夜中11:00に集まり、お客さまの作業が終了するのを待って、終わった後、障害対策をお客さま環境で行い、性能への影響等調べるため、性能測定を行った。作業は朝7:00お客さまが使用し始める前に終了した。

作業時間中、私への依頼事項はなし。
自分の製品でないと、これだけ気持ちが楽だとは思わなかった。

後記
前の上司が欠員した理由は、その日が我が人生で最大の一大事であったらしい。後でそれが結納式であったことを知った。結婚式もお呼ばれして、出席しました。確かに仕事よりもこちらの方が大事だ。
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悲しみの出張 仙台編

2011-02-20 02:24:29 | 日記
悲しみの出張 仙台編

入社一年目を過ぎた頃だったので、随分昔の話だ。

仙台へは開発プロジェクトの打ち合わせに行ったので、”悲しみ”ではないかもしれないが、ノリの勢いでシリーズに入れてしまった。いや、ある意味ちょっと悲しみがあるかも。。

開発プロジェクトのメンバーは研究所の人が一人、元研究所にいた主任、そして仙台の会社の方、主任一名に部下三名、そして私。

研究所の方が基本設計したものを我々他のメンバーが実装する。そのための設計レビューするのが目的だ。研究所の方が説明するのだが、どうしても理解できないところがあって、しつこく質問するうちに設計上の致命的な欠陥を見つけてしまった。皆、はっと気がついたような顔をした。主任は、したり顔で意地悪く「ほんまや。どうすんねん。」と聞いた。研究所の人は黙るしかなかった。

その夜、仙台で飲まされた。主任はそうそうにお疲れ、って言いホテルへ帰ってしまった。私も、ここで。。と帰ろうとしたが、研究所の人が「若いやつが何言ってんだ!」と言い、首根っこをつかまれた。まあ、結構面白いおっちゃんだったのだ。

最初の居酒屋では、魚がおいしかった。その後、仙台の会社の取締役の人とも合流し、パブでカラオケ。みんなはじけまくっていた。どうもこの流れが慣例らしい。どんなに飲まされても次の日は定時から会議。ここで潰れてはいけなかったのだ。

研究所の人からは、「飲め、飲め」と言われ「おまえは、何かわからないが、絶対大物になる。良い方か悪い方かは分からないが。。。」と言われた。

確かに波乱万丈な人生を歩んできたが、大物にはなっていない。しかしどんなに偉い役職の人がでてきても怖くはなくなった。

大物になるとしても私は悪い方だろう。少なくとも良い方ではない。
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悲しみの出張 北海道 すすきの編

2011-02-19 02:45:49 | 日記
悲しみの出張 北海道 すすきの編

お客さまの開発拠点が、北海道にあるということで、とある夏の日、急遽北海道まで出張せねばならなくなった。一泊二日の予定。

目的は他社のソフトフェアとの差分機能調査。

飛行機を経由して札幌につき、すすきのから路面電車に乗っていく。北海道といえば、やはりラーメンでしょう。私はすすきのに着いてすぐ、ラーメン屋を探して味噌ラーメンを食べた。とてもおいしかった。

調査は順調に進み、一日目終了。現地のシステムエンジニア(SE)の人たちと一緒に夕飯を食べるため、すすきのに戻った。最初、焼き肉かなんか食いましょうとお店に入りかかったが、中が真っ暗でボックス席みたいな怪しいお店だったので、SEの方が「ここはやめておきましょう。私がいつも行っている飲み屋があるので、そこへ行きましょう。」ということになった。

そこへ行く道すがら、昼間はシャッターが閉まっていたビルが全部風俗店で開業しており、街中のテープレコーダーからは、「ひったくりや恐喝に注意しましょう。」という警告メッセージが、ここかしこに流れていた。SEの方に聞くと、「ここ危ないっすよ。おいはぎなんかしょっちゅうあるみたいで、あまり知らない店とか入ると危険なんです。」と返答があった。そういえば後ろで歩いている集団も暴力団のような気が。。。その後、「ホテルを予約したんでお送りしますよ。」と言われ、着いて行ったらホテルの裏が風俗店で、ボーイも、どうみても暴力団じゃあねえの?という人だった。

二日目、また路面電車で現地まで行き、作業完了。私はお土産だけを買い、早々にすすきのを後にした。

すすきのは、いままで生きてきて一番怖い街となった。
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