ナカナカピエロ おきらくごくらく

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怒りの残業170時間 episode 3

2011-04-30 00:44:04 | 日記
怒りの残業170時間 episode 3

土曜日に休日出勤して夜遅くまで対応し、ようやく帰れると思ったら、部長から”ナカナカピエロ君だけは残ってくれる”と言われた。

その日の土曜は、ビル全体が閉められ、守衛所の人もいなくなり、外へは翌朝まで一歩も出られなくなる。もちろん入ることもできない。もしまた万が一何かが起こった時の対応として、私は会社での待機を命じられたのだ。

仕方がないので、部長会議室の机の上で大の字で寝ていたら、夜中の2時頃、電話がかかってきた。

アメリカで開発を行っているテクニカルスタッフのリーダーからだった。私は半分寝ぼけながら”Ah.. Ah...”と電話を受けていたら、”CAN YOU HEAR ME?”と大声で言われ、ガチャンと電話を切られてしまった。

翌朝6時頃、また電話がかかってきた。さすがに日本では深夜だと分かったのか、少しやさしい口調だったが、腹の中では怒っていたのがわかった。私は話を聞いて議論し、べき論で合意し、時間がかかる旨も承諾した。

ってゆうか、英語しゃべれないんですけど。。。何で私だけいつもこうなのか、疑問を持たざるを得なかった。

そして当たり前のように、次の日の日曜日もお仕事。一体、いつになったら休めるのか、見通しは暗かった。
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怒りの残業170時間 episode 2

2011-04-29 01:56:05 | 日記
怒りの残業170時間 episode 2

金曜日、毎日深夜まで、時には徹夜もあって、疲れて果てて帰ってきて、寮の自分の部屋の扉を開けた時、電話がなった。今から来てくれとの呼び出しだ。たった今、帰ってきたばかりなのに。。。。

またいつぞやの金曜日、疲れ果てて帰ってきて、明日は休みだからといって、ビールをガンガン飲んで酔っぱらって眠っていた。12時を過ぎた頃から、電話がずっと鳴り続けた。私はそれを受けられないほど疲れ果てていた。ようやく朝の4時頃、受話器を取ったら、今から来てくれとの呼び出しだった。私は暗い道を歩き会社に着いた。守衛所の方がびっくりして、どうされたんですか?と聞いてきた。

当然ながら、そのまま月曜まで徹夜の対応だった。

それから私は電話の音に怯え、トラウマになってしまった。有麟堂の電話が寮の電話と同じ音だったため、有麟堂で電話が鳴るたびに体がビクっと反応してしまうのであった。

後記
GWだー!
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怒りの残業170時間 episode 1

2011-04-28 00:31:06 | 日記
怒りの残業170時間 episode 1

金曜日の定時後、仕事をしていたら、上長がものすごい顔をして現地から帰ってきた。お客さまの資料を手元に、すぐさま関係者全員集められた。

とは言っても、その製品の技術担当者は私と上長だけ。実際の製品開発はアメリカの子会社が全て手掛けていたので、技術担当者と言えども、底が知れている。あと応援で関連会社の人が一人。それに対し製品の品質担当部署の人たちは担当以外の人も含め、全員召集されるという、異常事態だった。

これまでも、そのお客さまとやりとりがあったが、関連する別製品の担当者が、そんなの知らねえっ!と回答したものだから、お客さまが逆上したのである。

まあ我々の製品もタコだった。品質もだめ、性能もだめと、だめだめな製品だったのを何とか持ちこたえていたが、ついに逃げられなくなった。

お客さまの資料は品質担当部署に渡され、ものすごい数の人が動いて、徹底的なチェックが始まった。

私は、ものすごいことになったと事の大きさを知り、血の気が引いて青ざめてしまった。

残された私と上長は、会議室にとどまり、さあこれからどうしようかと戦略を考えた。そうしている間にも品質担当部署から次々に報告書が送られてきた。我々は徹夜で対応し土曜日曜と一睡もせずに月曜の朝を迎えた。

「もう限界なんですけど。」とうつろに言うと、「そうだね」と放心状態で上長は答えた。そこへ新人だった女性が、すがすがしい顔で「おはようございます」とあいさつしたが、私も上長も何も言えなかった。

そんな極限状態になっても、我々はまだ帰れなかったのである。

後記
混雑の中、駅で人とぶつかってしまい、”すいません。”と謝ったのに”ぶつかってんじゃねえよ”とすれ違い様に言われたので、”うるせえよ、ばか”と言ってやった。
久々にタイマン張って、2度と歩けねえ体にしてやってもいいのだが。。。まあ、逆もありうるんだけどね。。。老いても、刺し違える覚悟だけはいつでもある。久しぶりに芥川龍之介の「老いたる素戔男尊」を読みたくなったよ。
相変わらず餓鬼です。
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怒りの残業170時間 prologue

2011-04-27 00:25:18 | 日記
怒りの残業170時間 prologue

随分、昔の話だが、私はかつて一カ月に170時間の残業をしたことがある。非常に貴重な経験だったが、もう二度としたくないと思っている。ここでは、その時のエピソードをつづってみようかと思う。

後記
別に急ぎでもないのに、脱力系デバッグで残業。
おきらくごくらくのはずが、頭痛に。。。
やはりサナトリウム生活からは、当分離脱できなそう。。。
今日もバファリン飲んでお寝んねです。

※デバッグとは悪いところを見つけ出して直すことを言います。
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イタリアンやきそば

2011-04-26 01:07:30 | 日記
イタリアンやきそば

小学生ぐらいの時、インスタント食品で新製品「イタリアンやきそば」というのがあった。(速攻で消えていったが。。)ちょっと変わった味だったが、姉と私は、おいしいっー!と言って喜んで食べた。

次の日、母は何を思ったのか、「イタリアンやきそば」を大きなダンボール一箱ごと買ってきた。それから毎日、「イタリアンやきそば」が食卓に出てきた。

二日目ぐらいから、私も姉も辟易して「もういらない」と言い、見ることすら嫌になっていた。

残された「イタリアンやきそば」は、全て母が食べていた。
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観音崎

2011-04-25 03:19:38 | 日記
観音崎

毎年、4月から5月にかけて、晴天の日には観音崎に行くのが恒例になっていた。横須賀線で終点の久里浜駅まで行き、そこから観音崎まで歩くコースと、京浜線に乗り換え浦賀駅から歩くコースと2パターンある。

久里浜から歩くパターンの方が良い。ちょっとだけ途中で、渡し船に乗ることができる。親友や甥っ子とも一緒に行ったことがあるが、1人でも行く。

途中で地元の漁船がある小さな浜辺に出るのだが、そこは少し車道から離れているため、車の音がせず、海の波の音だけが聞こえる。そこで、しばし休む。

ゆっくり休んだ後、また歩き出すとすぐ観音崎だ。そこで小さな水族館に入る。芝生で覆われた広場のベンチでやすむと、本当にまったりとして心地よい。時間なんて忘れてしまう。展示は見飽きたが、低くて広いバスタブみたいなものがあって、ヒトデやらタコがさわれるようになっている。小さいお子様がおられる方にはお勧めだ。後はバスで横須賀に戻って帰ればよい。あまり疲れもせず行ける、ちょっとしたハイキングだ。

私は観音崎の自然公園の山の崖から転げ落ちたことがあり、それ以来行っていない。まだ薬の処方が定まらず、療養中の身であった。私はアルコール中毒者のように手足が震えてることに、その時、初めて気がついた。それは薬の副作用だった。それは苦悩と試練の始まりだった。

今はやっと薬の処方が定まり、震えは止まったが、階段を降りるのがいまだに怖くて、手すりにつかまって降りるようにしている。

今年、私は観音崎に行こうかどうか迷っている。

人生は平坦ではない。浮き沈みがあるものだ。
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試食

2011-04-24 01:18:58 | 日記
試食

デパートに行くと各お店で必ずと言っていいほど、試食用のコーナーがある。でも私は試食することに抵抗がある。一言で言えば、トラウマ。

幼少の頃、よく母の買い物に連れて行かれ、試食コーナーがあると必ずと言っていいほど、手にとって、「ほらっ!食べなさい」と食べたくもないのに手渡され、店員には「いやあねえ。この子が食べたいというもんですから。おほほほほ。」と、あたかも私が食べたかったかのように、言われるからだ。

もちろん「いらない」なんて言おうものなら、後でこっぴどく叱られる。

次から次へ試食コーナーがあるたび、「食べなさい」と言っては、それを私のせいにされ、そしてその商品は絶対に買わない。

私は、幼少の頃にして、早くも懺悔を望むほどの罪悪感を感じざるを得なかったのである。

後記
今日は一歩も外へ出ず。おきらくごくらく。
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お遍路

2011-04-23 03:37:57 | 日記
お遍路

定年退職した後、やりたいことの1つに、お遍路まわりがある。それも真夏の炎天下の中、陽炎を鑑みながら、ひたすら歩くのである。

同行二人。
四国の方は、弘法大師さまが常に寄り添っているかのように感じながら、生活を過ごしているという。生活の中に何の違和感もなく宗教が根づいて浸透している。しかも皆穏やかに過ごされている。ある意味、もっとも理想的な形と言えよう。私が置き去りにした何かをお遍路まわりすることで、取り戻せるような気がするのだ。

今の時代は、私には速過ぎると感じている。時計の針はもう少しゆっくり進んでもいいんじゃないかと思う。お遍路まわりは、そんな時間を与えてくれるのではないかと思うのである。
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アセンブルコード

2011-04-22 03:36:39 | 日記
アセンブルコード

まだ、短時間勤務の制限があるのに残業3H。
私のサナトリウム生活は何処へ。。。。

今日はアセンブルコードとにらめっこしてた。ところで、アセンブルコードって知ってるかな?

コンピュータって、御存知の通り、人間が操作しなければ、ただの置物。ものすごく足は早いけど、人間がこれやれ、あれやれと細かく指示しないとちゃんと動いてくれない。それを指示するのが、マウスのクリックだったり、タッチパネルの操作だったりすることになるんだけど、その裏では、何千何万の指示がコンピュータへ送られる。優雅な姿で浮いているように見えても、カルガモの足は想像を超えた回数で水をかいているのである。

その何千何万回送る指示を、アセンブルコードだと思ってください。たとえば、”右に向いて”、”左に向いて”とか、”一歩前に足を出して”とか、そんなレベル。それを読むのは、はなはだ苦痛かもしれないが、コンピュータの気持ちも理解できる。

それでも、まだ良い方なのだ。昔は、”右に向いて”を理解することすら難しかった。それは機械語と言って、さらに低レベル。本当に0と1の数列がただザーって並んでいるだけのコードなのだ。これを読むのは相当きつい。私は新人教育でやらされた。多分、私の年度が最後だろう。

便利になると人は愚かになるものだ。かと言って、不便でいいかと言われるとそうでもない。そこいら辺を行ったり来たりするのも良かろうと思う。

後記
早くGW来ないかな。。。ゆっくり数学を勉強したい。
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2011-04-21 02:03:09 | 日記


毎週日曜NHKの大河ドラマ「江」を見ている。

昔は大河ドラマを家族で見ていたが、仕事に就き寮生活が始まると自然と見なくなった。しかし姉のすすめで「坂本竜馬」を見始めていたら、とても面白かったので、「江」も見ている。

「江」を見ていて思ったのは、これまでの戦国時代は男の子が好む武勇伝とか国とり合戦とかばかりで、女性からの視点では描かれたことがなかったことだ。「江」を見ていると女性も命からがらに生きていたんだなあということが分かる。しかし豊臣秀吉は、ちょっとコミカルに描きすぎてはいないだろうか。。。

昔、大河ドラマ「黄金の日々」を見ていた時、豊臣秀吉は緒方拳が演じていたが、こんなにコミカルではなかった。緒方拳のまむしのようなぎらぎらした目が印象に深い。女性から見ると秀吉は、こうなってしまうのか。。。

しかし母が豊臣秀吉のことを「ひできち」と呼んだ時は、家族で大爆笑だった。商人(あきんど)の丁稚奉公(でっちぼうこう)じゃあないんだから。。。

否定したいが、この人の遺伝子を、私は確かに受け継いでいるようだ。
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