続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

木崎宿・色地蔵と長命寺のカヤ

2024-03-01 20:24:20 | 日光例幣使街道

朝は、まだ雨の中を、貧乏カッパでお散歩です

しばらくして雨は上がって日が差してきました

ひめちゃん、2度目の朝散歩です

なぜか、ひたすら草を食べます。

体が春バージョンになるので、草を欲しているのかな

 

赤城山は、昨夜は雪だったね

ひめちゃんは、外のお部屋に帰って、日向ぼっこです

 

 

 

2月26日、日光例幣使街道・木崎宿の70番と71番を訪ねました。

 

新しい木崎宿の道しるべです。

始発・京都と、終点の日光の文字があります。

この道しるべは、地図の「宿」の文字上の交差点にあります。

 

記憶を辿って、71番・色地蔵に出ました。

左からの道が例幣使街道で、ここを曲がって手前に東に行きます。

 

茅葺きの屋根がいい雰囲気です。

本来の地蔵堂とかは、こんな雰囲気だったのでしょう。

お賽銭の投入口から失礼します。

合掌

 

説明板を確認です。

「木崎下町の三方の辻に、お立ちなされし石地蔵様は、男通ればニコニコ笑い、女通れば石持てなげる、これがヤー本当の、石地蔵様だがヤー。」

木崎音頭の歌詞は数種類ありますが、末尾には必ずこの部分が付いています。この一節に唄われている色地蔵様がこの石地蔵様です。~(中略)~江戸時代の木崎宿には飯売女がたくさんいて、彼女達は前借制年季奉公で遠出が制限されていたため、宿はずれの本地蔵様に参詣して心の安らぎを得たのです。こうして数多くの色街の女(飯売女)が訪れたことから、何時の間にか「色地蔵様」と呼ばれるようになり、木崎音頭にも唄われるようになったのです。

 

確かにここは三方の辻、三叉路です

 

 

隣の長命寺境内に、榧(カヤ)の木が見えます

何か鳥がいる

 

 

境内に失礼します。

カヤの木は、古墳と思われる小高い丘の上にあります。

階段の右には、椿が満開です

今だけの景色です。

合掌

 

 

さて、墳丘に登ってみましょう。

 

カヤの実が落ちています

今まで見た中で、一番大きいかな

 

双体道祖神の周りにも、たくさんのカヤの実です

今は利用しないのかな?

もったいない

 

カヤの木と五輪塔です。

 

それなりに太い根本です。

でも、大カヤというには、まだ小さいのかな

若いだけあって、毎年たくさんの実をならせているようです

 

おや、やっぱり木の上に何かいます

カメラではうまく捕らえられなかったけれど、尾が水色で長い鳥です。

オナガ

 

墳丘の後ろからの、カヤの木です。

古墳のシンボルとして植えられたのかな

 

このあたりには、古い石造物がまとめられています。

六地蔵さんの後ろのこの方、インパクトがあります。

どなたかな?

 

本堂前で合掌

 

右手の庫裏への道にはフエンスがあります。

今回も、御朱印は諦めましょう

 

『ぐんまのお寺 真言宗Ⅰ』(平成13 上毛新聞社)によれば、

寺伝によると延長三年(925)小野道風の開基、右大臣大僧都延弱の開山で創建された真言宗の寺である。その後、木崎宿の大火で総てを焼失した。そこで慶長三年(1598)に、元新田領勢田郡后之郷の地に良山法師が再興し、中興開山となった。郷内の大小の神社はすべて長命寺の支配下に置かれ、文和三年(1354)に建てられた貴先神社は別当職になっていた。この神社は称徳天皇を祭主としたので、長命寺の院号を称徳院という。

 

后(きさき)は木崎(きざき)の地名の元になったのですね

 

それでは、貴先神社にも寄っていきましょう

 

(つづく)

コメント
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