ひめちゃんは、堀之内を西に出ます
今朝はいつもより一本東のあぜ道を歩きます。
草が刈ってあって、歩けます
堂宇はないけれど存在する、無量寺界隈を歩いて帰ります。
シロくん、おはよう
この道は、山上の宿(しゅく)です。
新里村ができるときに、新川の宿と同じなので変更させられたとか
道の中央に小川が流れ、両側には商店が並んでいたとか
そして、精進堂とよばれる場所もあったとか
道の突き当たりは、赤城山の正面中央です
精進堂は、赤城山に登るために百足鳥居を目指す人々が、一休みしたり準備した所かも
11月17日、また菊華寄席に出かけます。
なかなか笑う機会がなくなっているので、笑ってこよう
少し早めに出かけて、はねたき橋を歩いてみましょう
はねたき橋に近い、道了尊駐車場に入ります。
あれ、混んでる
はねたき橋付近を散策する人が多そうです。
警笛が聞こえます
電車がやってきます
ここはわたらせ渓谷鉄道のすぐそばです。
「わたらせ渓谷号」がやってきます
カメラを構えて待つ人もいます
車中の人は手を振って去って行きました
もちろん、カメラマン・カメラウーマンも手を振って見送ります
さて、本日目指すのはあの目立つ形の「はねたき橋」です。
付近の案内図を確認です。
まずは、久しぶりに「はね瀧道了尊」にお参りしましょう。
道了尊演技を確認です。
「どうりゅうさん」の呼び名で親しまれております『はね瀧』は、諸願成就、子育ての仏様として江戸時代から現代にいたるまで、時代を超えてたくさんの進行を集めてまいりました。
道了尊は、宝暦二年(1752)五月、光栄寺第十世寿賢の代、神奈川賢足柄市大雄山最乗寺より、ここ大間々の渡良瀬川沿岸にお迎えされたと記録に残されています。以前は、現在地よりも北側およそ100米の斜面を下がった所にありました。当寺、縁日は毎月二十七日、二十八日の二日間で、道了尊参道には『滝の湯』という湯屋や茶店が並び、たいへん賑わっていたそうです。また、天保二年(1831年)には、かの渡辺崋山も当地を訪れ、要害山から高津戸一帯を描いたことが『毛武游記』に記されています。しかし、昭和二十二年(1949)のキャサリン台風による水害で、渡良瀬川沿岸にあった道了堂は、周辺の滝の湯、茶店もろとも一瞬のうちに濁流に飲まれ、跡形も無く流されてしまいました。
~(中略)~平成十五年(2003年)十一月一日、光栄寺開山400年を記念して、道了尊を現在地に移転。勧請いたしました。
あの渡邊崋山もやってきたのです
訪れたのは10月、旧暦なのでちょうど今頃です
渡辺崋山も、錦秋の高津戸渓谷歩いたのです
そして、スケッチというか、当時の風景画が残されていますね
彼の妹が桐生に嫁いでいたのです。
どうりゅうさんにご挨拶です
合掌
大下駄、岩屋の中の不動明王にも合掌
向こうに見える歩道橋、ずっとちょっと変だと思ってました。
やっとわかりました。
線路をまたぐ歩道橋だったのです
さてさて、はねたき橋です。
タバサねーちゃんと来たのは、いつだったっけ
ひめちゃん、一緒にこれるかな?
(つづく)