朝は今にも泣きそうな曇り空でした
ひめちゃんは、堀之内の西を歩いてきました。
朝ご飯はおうちの中です。
暫くすると、天気予報通り晴れてきました
ひめちゃんは、2度目の朝散歩です
田んぼの淵のおいしそうな草に夢中です
やっと顔を上げると、怒り顔です
まさか、このままお外のサークルに帰るんじゃあないでふよね
いや、そうですよ。
おかあたんは、ちょっとお出かけだから、お外のお部屋でお留守番していてね
獅子くんのお部屋前の、お土産に買ってきたながめの菊、きれいに咲いてます
春が来たら、地植えにしましょう
9月10日の訪問記事になります。
阿左美生品神社の東方辺りから流れ出した蛇川は、やがて東武鉄道桐生線と平行してしばらく流れます。
強戸小学校の近くに、参道を東武鉄道と蛇川が横切るお寺があります。
今はもう参道という感じではないですけど、庚申塔などの石造物があります。
県道を左折して参道を入ります。
線路と川を渡ります。
『ぐんまのお寺 曹洞宗Ⅰ』(上毛新聞社 平成14)に
県道大田・大間々線沿いの市立強戸小学校の反対側を北進し、東武鉄道桐生線の線路と新田堀用水路を渡ると、そこに永昌寺がある。
川は蛇川、橋の名は「けいうんばし」です。
新田堀といった時代もあったのかな?
お寺は、恵雲山永昌寺(けいうんざんえいしょうじ)です。
静かな境内です。
ちょうど、紅い百日紅が満開です
「須永好之碑」とあります。
須永好さん、何した人かな?
前掲書によれば、
須永は一介の農民から身を起こして小作人組合の創立、無産派による村政の執行、日本労働等の結成など大きな役割を果たし、また衆議院議員としてひたすら農民のために尽くし、「農民の父」と言われている。
そんなすごい人がいたんだ
聖観音ですね。
合掌
めだつ如意輪観音です。
この如意輪観音が「歯ぼとけ様」です。
合掌
前掲書によれば、
この供養塔は江戸時代から大正時代ごろまで「歯ぼとけ様」と称して、歯痛防止の仏さまとして村民からあつく進行されていた。仏さまの姿が、ちょうど虫歯の痛みをじっと我慢している人に似ているところから、進行がうまれたもので、塔維持は祈願したと痛い歯のあたりに墨をぬると、不思議と痛みが遠のいてくれたという。
百日紅が咲く静かな境内です。
大きな碑があるけれど、文字が読めません
ご本尊も、聖観音でしょう。
本堂前で、お姿は見えないけれど、合掌
庫裏を尋ねて、「御朱印は、出ますか」
「うちは、やっていません。」
「それは失礼しました」
ちょうど電車がやってきます
やっぱり、電車が来るとうれしいです
ところで、この永昌寺は、あの古河公方・足利成氏が開基という東雲寺も管理しているんじゃなかったかな
2017年秋に訪問したとき、東雲寺は何かもめ事があったみたいでした
哀しき新田百観音
新田百観音、どうなったかな?