ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。
タバサねーちゃん、遅れ気味です
早く行こうよ
アタチは先に帰ってます
今朝は用を足したタバサねーちゃんは、先に帰ります。
ひめちゃんは、諏訪神社の向こうの高台を歩きます。
酪農王国を夢見た残骸があります
久しぶりに山上の薬師の道に入ります。
道ばたの石造物のみなさん、無事でした
誰か先にお散歩したかな?
獅子くんとも、よく来たね
タバちゃんの目が治りますように、合掌
西林寺には、ヤギさんがいました。
1名はわかめちゃんです。
もう1名も名札がありそうですけど、分かりません。
元気をありがとう
バイバイ
上泉伊勢守の墓は何処だったっけ?
本堂の裏に行ってみましょう。
本堂の脇を奥に進むと、ありました
りっぱな上泉伊勢守の略譜です。
りっぱすぎて読むのが疲れそう
いずれにせよ、ここに新陰流の祖・剣聖・上泉伊勢守信綱が眠ると言うことかな?
でも、上泉伊勢守信綱は何処で亡くなったかについても、諸説あるようです
剣聖の墓は、五輪塔、それとも塔婆が立っている石造物
『ぐんまのお寺 曹洞宗Ⅰ』(上毛新聞社 平成14)によれば、
明治20年の『上野国寺院明細帳』によれば、「群馬縣管下上野国南勢多郡上泉村字前浪美 同国同郡前橋向町橋林寺末 曹洞宗 一 本尊 阿弥陀如来 一 由緒 不詳・・」とある。
その後、西林寺によって『曹洞宗 西林寺縁起』が作成されたのです。
先の書によれば、「左の花崗岩の墓碑が伊勢守墓と伝えられている」とあります。
ともかくも、合掌
剣聖・上泉伊勢守ゆかりの地であることは間違いないのですけど
百日紅を見ながら帰ります。
百日紅の似合う史跡でした
さて、上泉伊勢守の像がある上泉自治会館にも寄って行きましょう
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