ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。
あれ、ひめちゃんとタバサねーちゃんのハーネスが逆です
今朝はあたふたと出かけたので、ハーネスを間違えたようです
本人達は、気にしていないようです
サイズも本体はタバちゃんの方が太めですけど、大丈夫のようです
天神田(字天神の田んぼ)を歩きます。
右の鬱蒼とした木立の前に、天神様がありました
今は、木立の向こう側に、石宮が寂しくあります
左の竹林の裏に天神沼がありました
今ではすっかり埋め立てられて、沼の面影はありません
でも、地名は正直です。
ここは字・天神です
2人はケンくんちに向かいます。
途中、お茶の花が咲いてます。
あれ、ケンくんの遊び場のドアが開いてます
ケンくんの姿はありません。
おウチの中が怪しいよ
ケンくんは、やっぱりお家の中でした
ガラス越しでも、逢えて良かったね
桶の細道(おけのほそみち)の帰り、大間々町歩きマップです。
現在地の上の大間々高校の右下(遠くを眺めている人の辺り)に、岩沢正作の紹介があります。
彼は大間々共立普通学校の先生でした。
大間々高校の前身・共立普通学校は、明治33年(1900)最初は少し南にある日蓮宗・本要寺に境内で開校したそうです。
その2年後、現在地に移転と言うことです。
岩沢正作が勤務した共立普通学校は、ここだったのです
でも、本要寺ってどこだ?
気になります。
先日、動物病院に、ひめちゃんたちのフイラリア予防とノミダニ予防のお薬をもらいに行きました。
大間々の本町通りを通って帰ります。
左折して、坂道を上ります。
普通はそのまま、国道353号線をのぼるのですけど、坂の途中の小道が気になります。
心細く進むと、日蓮宗・本要寺の山門です
あれ、本要寺ってここだったんだ
あの岩澤正作が先生をしていた、共立普通学校が最初に開校したのは、本要寺の境内だったといいます。
駐車場はなさそう
少し行くと、みどり市厚生会館です。
厚生会館利用以外の駐車禁止とあります
隅っこの方に目立たなく、ちょっと失礼します
ダッシュで坂道を下りて、本要寺参拝です。
山門を横目に、参道を急ぎます。
本堂です。
本要寺と額が架かります。
とりあえず合掌
右手の奥にも建物です。
大きな古そうなザクロの木が実を付けています
ザクロのむこうに本堂、いい感じです
広くはない墓地に、墓標も多くはありません。
お彼岸も過ぎて久しいですけど、生花が上がってます
小さいながらも、信仰厚い場所のようです
合掌
思いがけず、共立普通学校の故地を訪問できました。
『大間々の社寺』(大間々町誌「基礎資料Ⅺ」)に、本要寺がありました。
熱心な日蓮宗の信者・藤生佐平らの努力により、京都にあって衰退していた本養寺を移転という形で、明治25年11月に桐原への移転が実現したとあります。
本要寺の住職は、桐生市西久方町の法経寺で現住の先々代から兼務していたが、昭和58年に法経寺に合併した
檀家はもと6戸であったが、現在は62戸になったともあります。
法経寺、そのうち訪問しましょう
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