続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

続・足利長尾氏開基の竜沢山長林寺

2024-12-23 14:23:17 | 足利紀行

ひめちゃんは堀之内を西に出ます。

あちゃあ、黄色い帽子の集団(小学生の集団登校)だ

脇道に避けて、静かに通過を待ちます

早く行っちゃってくれないかな

今朝は大人数です

直進は諦めて、天神田を歩きます。

遠くに真っ白な八ヶ岳連峰(先日、こつなぎさんに教えていただきました)が見えます。

南の方に、なんとなくあの山・武甲山(こちらも、こつなぎさんに教えていただきました)がありそうですけど、はっきりとは見えません。

秩父は雪が降ってないようです。

 

ひめちゃんは、山上の宿、無量寺界隈を歩いて帰ります。

シロくん、おはよう

シロくんちも、お店屋さんだった?

かつては、通りの中央に水路が流れ、両側に何軒もの店が建ち並んでいたとか。

宿の先には、吹雪が少し収まった赤城山です。

今日もおうち犬だね

 

 

 

(11月1日)足利長尾氏累代の墓を尋ねて、長林寺探訪続けます。

階段が続きます

石造物もいっぱい

こんな形の六地蔵さんもあるんだ

 

田崎草雲の墓を横目に、足利長尾氏歴代の墓→に従って登ります。

歴代の住職の墓の向こうに、見えてきました

 

 

やっとたどりついた、足利長尾氏歴代の墓です

長林寺は足利城主初代長尾景人が創建で長尾氏歴代の菩提寺であり、もとは勧農城(岩井山)の隣接地にあったが、三代景長が現在地へ移設した。

 

写真で、長尾顕長の宝篋印塔が表示されています。

やはり彼の墓石を尋ねてくる人が多いのかな?

前列一番右の宝篋印塔が、長尾顕長の墓標です。

合掌

みなさんにも合掌

 

 

さて、また気をつけながら階段を降ります

田崎草雲の墓にもお参りです。

碑がありますけど、よくわかりません。

書家だっけ、画家だっけ

ウィキペディアによると、

田崎 草雲(たざき そううん、1815年11月15日文化12年10月15日) - 1898年明治31年)9月1日)は、日本の南画画家。名は芸(うん)。字は草雲。弟子に小室翠雲嵩岳堂がいる。司馬遼太郎の短編小説「喧嘩草雲」や、中里介山の長編小説「大菩薩峠」に登場する足利出身の放浪の絵師、田山白雲のモデルになっている。

そうなんだ

心を込めて合掌

 

 

本堂の方に戻ります。

本堂横には、足利七福神の幟です

福禄寿がおいでです。

合掌

福禄寿のスタンプがあります。

とりあえず福禄寿のスタンプをゲットです

 

 

本堂前で合掌

 

 

狛犬さんにも「こんにちは」です。

 

どうも日本出身の狛犬さんではなさそうです。

 

 

庫裏を尋ねますが、反応がありません

まあ、福禄寿のスタンプをゲットしたからいいか

 

 

階段を降りて山門をくぐり、駐車場に戻ります。

長林寺は、長尾氏が勧農城から足利城(両崖山城)に移った時に、一緒に移転してきたのですね

金龍寺と共に、和睦の使者として小田原に赴くのは、ごく自然ですね

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足利長尾氏開基の竜沢山長林寺

2024-12-20 18:25:21 | 足利紀行

ひめちゃんは赤柴の超老犬・プーちゃんの前を通ります。

プーちゃんは朝日を浴びて、体を温めています。

ひめちゃんに気づいて、立ち上がって呼びかけます

珍しく、ひめちゃんは反応しました。

ちょっとだけ、やるか

でも、やっぱりやめときまふ

 

プーちゃんは、いったいいくつなのだろう?

もしかしたら、ひめちゃんの両親の世代かも

タバサねーちゃんは、昨日花をくっつけてご挨拶してきたそうです。

ごめんね、又そのうちに、タバサねーちゃんが来るからね

 

堀之内の西を通って帰ります。

去年植えたまま実っても刈り入れてもらえない田んぼ、今年もそのままです

 

ひめちゃんたちの朝ご飯の後、おかあさんはガーデンパトロールです。

あれ、カバ丸が居ない

50cmほど離れた所に転がってます

傷ついてはなさそうです。

何者かが運んだのかな

特に足跡はなかったけれど

やっぱり獅子くんの眠ってる所にいたいよね

獅子くん、カバ丸が帰ってきたよ

 

 

 

(11月1日)

長尾弁天に参拝を済ませ、長林寺を目指します。

細い坂道をかなり上ります。

 

やっと門柱です。

説明板もあります。

 

なおも坂道を走行します。

やっと山門です

こちらの説明板もよく見えない

足利長尾氏初代・景人の創建で最初は長雲寺、のちに享徳2年(1453)に竜沢山長林寺と改称かな

 

こちらは、よく見えます

山門は、江戸時代のものなのですね。

長尾氏と一緒に、牛久に行かなかった雰囲気です。

 

 

山門をくぐって、長い階段です

足利って、こんなにも山の街だったんだ。

あれ、長尾弁天で見たような説明板です。

ここには、福禄寿がおいでなのです

 

階段脇には、お茶の花がたくさん咲いてます。

 

ふう、やっと本堂が見えてきました

現代的な建築です。

狛犬もいる

 

 

左手の方が墓地になっているようです

お堂の中には、大日如来です。

合掌

 

 

長尾氏歴代墓所→があります。

 

 

田崎早雲の墓があります。

帰りに寄ります

階段を上ります。

まだまだ階段を上ります。

山の街・足利でもお墓参りは大変だあ

 

(つづく)

 

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足利長尾氏の記憶・長尾弁財天

2024-12-19 18:18:53 | 足利紀行

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、最近ずっとおうち犬しています

テラスのサークルで、ちょっと寂しい、ねむねむ獅子くんです

せめてお花で賑やかにしようね

 

今朝、ひめちゃんは、堀之内を西に出ます。

 

あれ、遙かに遠い雪をかぶった山々が見えます。

日本アルプス?

浅間山も、凜として寒そうです。

南の方には、ほんのりと白い山が出現です。

かなり遠くの高い山だと思いますけど、だれもその名を知りません。

冬の間だけ出現します。

 

ひめちゃんは天神田を歩いて、庚申塚古墳を通って帰ります。

双体道祖神さんに、おはようございますです

 

 

 

『上州坪弓老談記』によれば、金山城主・由良国繁と足利城主・長尾顕長は小田原に幽閉され、金山城は小田原勢に攻められました。

由良勢は籠城し、なかなか落城せず、膠着状態になったことがありました。

その時、和睦の使者として、小田原に行ったのが、金龍寺と長輪寺の僧です。

金龍寺は金山の麓の、由良氏の菩提寺です。

長輪寺は、長林寺でしょう。

足利長尾氏累代の墓があります。

 

11月1日、長林寺を尋ねました。

まず、途中にある長尾弁天にも寄って行きます。

道の反対側に、公共施設の駐車場があります。

ちょっとの間失礼します

 

横断歩道を渡って参拝です。

 

真っ赤な鳥居から入り直しです。

りっぱな鳥居です

額は厳島神社(いつくしまじんじゃ)です。

社殿も赤に、同じ雰囲気に統一されています

 

長尾弁財天の説明板です。

足利領主三代目の長尾景長が、西宮の長林寺に祀ったものであり、長尾七弁天の一つとされている。その後、明治元年の神仏分離令により、現在地に遷座し、厳島神社となった。以来地域の守護神として厚く敬神され、安芸の宮島を見学してそれを模した鳥居も奉納された。この地域は、水害、火災もなく、各家庭や町内が仲良く和合して人情も厚い。弁天様のおかげと深く信仰され、清掃もみんなで行っている。弁天様は、水の神であり、芸術の神であり、財宝利得をもたらす女神である。

 

鳥居はあの宮島の厳島神社の鳥居を模したものだったのです

 

もう一枚説明板です。

大山講の灯籠ですって

足利では、江戸時代から昭和50年頃まで、織物の旦那衆を注進に「大山講」が組織され、神奈川賢伊勢原市の大山阿夫利神社に参詣していました。

社殿の中に保存されています。

 

お姿はよく見えませんけれど、弁天様に、2礼2拍1礼です

御朱印がほしいところですけど、何もありません

残念

毎日自治会の方が来ているのだったら、書き置きでも置いてくれないかな

ぜひ御朱印がほしい長尾弁天です。

 

横断歩道を渡って、駐車場に戻ります。

厳島神社風の赤い鳥居とそれに似合う社殿の長尾弁天でした

 

さて、駐車場隣の道を上って、長林寺を目指します。

足利には長林寺が2寺あって、目指すのは西宮の長林寺です。

 

(つづく)

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黄葉真っ盛り大銀杏・足利氏館跡の鑁阿寺3

2024-12-16 19:36:50 | 足利紀行

冷え込みが少し和らいだ朝です

ひめちゃんは、堀之内を西に出ます。

あちゃあ、黄色い帽子の集団だ

でも、脇道に避けて静かに通過待ちです

以前のように、パニックになることはなくなりました

天神田を歩いて帰ります。

雪をかぶった浅間山が見える季節になりました。

 

 

 

12月3日、鑁阿寺再訪です。

今回も東門から入りました。

大銀杏、色づいています

きれいな棲んだ黄色です

感激

 

 

でも、忘れないうちに御朱印と御城印をいただきましょう

ちょっと本堂に行ってきます。

 

12月の御朱印は、黄金色の銀杏の葉に赤いモミジが混ざってます。

黄葉と紅葉が同居しています。

もしかして11月は黄色だけだったかな

そのうちに11月も来てみましょう

日本100名城の足利氏館跡の御城印もいただきます

前回はスタンプだけ、いただきました。

 

 

大銀杏の全景が撮れないので、多宝塔の後ろに回ります。

御朱印のように黄色と赤の世界です

あれ、「犬のフンは飼い主がお持ち帰りください」ですって

持ち帰らない人がいるんだ

でも、ワンコ様入場禁止じゃなくてよかった

 

モミジの赤もきれいな鑁阿寺です

 

山門をちょっと出てみます。

やはり境内に入らないと、大銀杏の黄葉の感動はありませんね

 

境内に戻って、鐘楼の前を通って帰ります。

建久七年(1196年)足利義兼建立です

黄葉・紅葉、似合ってます

 

黄葉・紅葉ともに真っ盛りの鑁阿寺でした

 

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鳩と鯉のいる風景・足利氏館跡の鑁阿寺2

2024-12-14 18:14:39 | 足利紀行

真冬の厳しい寒さの朝です

でも、ひめちゃんは元気に堀之内を西に出ます。

浅間山は吹雪いているようです。

天神田を歩いて帰りました。

ムーハウスガーデンに小輪で覆輪のかわいい椿が咲き始めました。

小輪もいいね

 

最近ひめちゃんは、体をなめていることが多くなっていました

昨日、おかあさんがタバサねーちゃんの目薬を動物病院にもらいに行くのに同行、ついでに受診しました。

皮膚炎になりかっているということで、注射をしてお薬をもらいました。

去年のこの時期にも、同じような事があったね

今日は大分落ち着いているようです

 

 

 

 

(10月10日、足利鑁阿寺の散策続きます。)

御朱印の状態の、まだまだ黄葉しない大銀杏をあとに、南の山門を目指します。

 

 

山門手前に、伽藍案内図です。

今までは、この山門から入ってました。

 

振り返って本堂です。

鎌倉にはない、鎌倉時代の建物なのですね

 

 

山門の仁王様は、金網の向こうで、よくお姿が映りません

とにかく、すごい木の芸術です。

 

 

山門を出て振り返ると、あれ鳩がいっぱい

こんなに居たっけ

 

堀を見つめている子もいます

何か居るのかな?

大きな鯉がいます

生き物が居るって、いいね

 

 

楼門(山門)及び反橋の説明板です。

楼門(山門)は、永禄7年(1564年)、足利幕府13代将軍・足利義輝の再建です。

反橋は太鼓橋ともいい、江戸時代安政年間の再修です。

 

 

ほかでは見ない、太鼓橋です。

 

 

振り返って、楼門と反橋(太鼓橋)です。

いつもは、こちら側から参拝していました。

こんなにも鳩と鯉のいる風景だったんだ

 

 

あれ、この日目に付いた唯一の犬もいるの掲示です。

 

 

さて、再び反橋を渡って境内に戻ります。

人がきても逃げない鳩や鯉がいる風景、いいですね

 

 

右の心地池、鐘楼を通って東門を出ます。

また、近いうちに来ます。

黄金色に色づいた大銀杏に逢いに来ます

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