かとうなおひこのブログ

かとうなおひこの徒然なるブログ

ミーム

2008-11-19 17:27:20 | かとうのニュース

 
 「ミームマシーンとしての私 上・下」、無事、読み終わりましたぁ~(^^ゞ。
 
 読み進んでいる途中・・・「これで論理を展開してゆくと、最後は自我の崩壊だよなぁ・・ 」と、予想していた通り、意識や自由意志についてのくだりがやってきました。
 
>『私たちは、実際には、信念も信じている自己もどちらも見つける事が出来ないのである・・・』
>『私たちは、記憶を必要とする複雑な事柄を行っている人類であり、記憶する自己についての物語を構築する人類にすぎないのである・・・』
>『自由意志はそれを「もつ」自己と同様に錯覚である・・・』
....etc.

 と、しておいて、では人間に巣食う"ミーム複合体"をすべて排除したら虚無しか無いのか?との問いに、いっさいのミームを取り払ったいわゆる無我の境地において正しい判断がなされ、それこそが真の自由であり、創造性はあらゆるミームを排除した時にのみ成立する・・・、といった、希望を持たせて、この本は終わりました。
 
 まぁ、ちょっと突っつけそうな穴はあるものの、ミーム学への興味を満たす本としては、なかなか良かったですよ!。ドーキンスの文章は、読むのに根気がいるのだけど(^_^;)、スーザンブラックモアさんは、女性だけあって、文章が非常に解りやすく、読みやすいです。


 最後の希望を見せるエンディングでは、「すべてのミームを自由にさせてやる事」と「あらゆる事に均等に注意を払う事」の2つの精神修養的な方法で、大きな自由の感覚がもたらされる・・、と締めくくっていますが、ちょっと"禅"的な発想に思えます。そして"禅"自体も一つのミームではないのか?とも思えます。

 でも、「創造性はあらゆるミームを排除した時にのみ成立する」というのには賛成!そしてわずかながら私にもその実感や経験があります。
 しかし、ミームが空っぽの状態からミームの完全排除してからの創造と、目一杯ミームを取り込んでからミームの完全排除に自分で持っていったあとの創造は、けっして同じではないと信じたいと思っています。