例のミームの本を読み終わって、私の部屋には、チラシの裏などに書きなぐったメモが散乱しておりまして・・・(^_^;)。今、Macに整理して入力し直しました。
ん~、頭の中で思考を本当に自由に振り回している時って、やっぱり紙とペンに勝るものはないんですよねぇ。ぱっと思った時にメモを取るのは、やっぱり紙とペン。けっしてキーボードには向かわないですねぇ。後々の整理とかデータの管理には、パソコンにかなうものはないのですけどね。瞬時のメモリーとハードディスクみたいな違いか?それともキャッシュとメインメモリー?でも、手書きのメモは電源を切っても残ってるし、後から見てもちゃんと役立つから、その両方の役割を持っているのかな?
ただ、紙とペンでも、私はスピードが遅くてイライラします。もっと速く書き終えてしまいたいです。思考にスピードが追いついてこないです。小中学校での勉強でも、ノートを取るのが遅くていつもイライラしてましたねぇ。なので、私のノートは他人には解読不能なミミズが這った文字でした。(^_^;)。
でも、書かずにスキャンしたりコピーとかじゃ、だめなんですよねぇ。書く事によってやはり、いったん論理的な思考が入り込むんだ状態の、新たな外部記憶になるんだと思います。パソコンも携帯も、パーソナルな外部記憶には違いないし、とっても正確なんだけど、手書きでメモを取るということの代わりには、まだなりませんね。これは、単にインターフェイスの問題なのだろうか?それとも人間の仕組みとして、筋肉と神経の連動が新たな効果を生み出しているのだろうか?
で、メモを整理して入力していて、改めて引っ掛かった言葉・・・・
「私が今感じている事を、あなたは、たぶん知ることが出来ない」というのは、ほとんど自明の理である。
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私たちはそれを何か慎ましい形で伝えようとして、詩を書き、バラを贈り、絵を描く。(音楽を奏でる)。
by スーザンブラックモア
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「(音楽を奏でる)」と、矢印は、私の加筆です。(^_^;)