奈良散策 第781弾
4月10日、馬見丘陵公園でチューリップを見た後、長福寺の八重桜を見に行きました。たぶん、長福寺には駐車場がないだろうと思って、竹取公園の駐車場に止めて、歩いていきました。長福寺の場所は事前にグーグルマップで調べておきました。先日行った三吉石塚古墳の南側にあるのを確かめておいたので、南に向かって歩きました。そして、広陵町立図書館に着きました。この道角に「新家長福寺」という案内板があったのですが、どうも方角が違います。きっと車用の案内板だろうと思って、無視して南に向かって歩きました。



そして、長福寺に着きました。立派なお寺なのですが、どこを見ても、八重桜はありません。どうやら場所を間違えたようです。それで、また、グーグルマップを見てみました。すると、近くに新家長福寺というお寺が見つかりました。先ほどあった看板のすぐ近くです。長福寺は二つもあったのです。


戻る時に三吉石塚古墳の横を通ったので、写真を撮りました。先日は上まで登ったので、この日は通り過ぎただけでした。

そして、看板のところに着くと、桜の花がいっぱい咲いているところが見つかりました。きっとあれだ。

そちらに行ってみると、やはり新家長福寺でした。入場料は無料ですが、入り口に桜維持管理寄付金の箱が置かれていました。

これは本堂です。

境内は花でいっぱいでした。

これはシャクナゲ。



この緑色の花は御衣黄(ぎょいこう)という八重桜の品種です。以前、奈良公園でも見たことがあるのですが、もう少し経つと、花弁がピンクになってくるのだと思います。



境内はとにかく八重桜で一杯でした。


これは「うこん」という品種。

お寺の建物と八重桜。


綺麗なピンク色の花です。

フジの花が満開で、いい匂いがしていました。

その匂いに惹かれてか、キムネクマバチが山のように来ていました。


中にタイワンタケクマバチも含まれていました。

シラフジもありました。




花にアゲハが来ていました。じっとしてくれていたので、ばっちり撮れました。



八重桜をいろいろ撮ってみました。

これはたぶん、ボタンの花。

最後は寺紋です。複雑な紋です。(追記2023/04/25:これは真宗大谷派(東本願寺)の寺紋「抱き牡丹」のようです)
ところで、どうしてこんなに近くに長福寺が二つもあるのでしょう。寺の説明やHPを調べてみました。長福寺を創立した慶秀は1572年に本願寺11世顕如上人に出会い、法名を得た後、翌1573年に赤部長福寺を開きました。この赤部長福寺こそが最初に行った長福寺でした。というのはあの辺りの地名が赤部だったのです。その後、教如上人に会い、京都堀川七条に寺地を与えられ、これも長福寺と号しました。教如上人が東本願寺創立の際の慶秀の功績が認められ、徳川家康から大和国新家に山林を与えられました。この場所に二代目空円が寺を建て、これも長福寺という号を頂戴しました。これが現在の新家長福寺です。ということで、京都を含め長福寺が全部で三寺もできたのです。その後、三代目斉円の死後、この三カ所の長福寺を本願寺に返却しました。そして、新家長福寺は本山の掛所とし、赤部長福寺を持坊住職地と定められたとのことです。残る堀川七条の長福寺は1732年に真如が山科に移して、山科別院長福寺と言われ、現在に至っているようです。
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