奈良散策 第743弾
3月7日に奈良市にある長屋王(ながやおう)邸跡と宮跡(みやあと)庭園に行きました。長屋王は奈良時代の政治家で、父は天武天皇の長男の高市皇子、母は天智天皇の皇女の御名部皇女という血筋の家系でした。権勢を振るった藤原不比等死後、右大臣にまで上ったのですが、不比等の子である藤原四兄弟との関係が悪化し、最後には自害することになる「長屋王の変」の中心人物です。
以前はそごう百貨店、現在のミ・ナーラのある場所が長屋王邸跡で、今はこんな案内板があるだけです。
昭和61年(1986年)この場所に百貨店をつくるというので発掘したら、写真のような巨大な屋敷跡が見つかりました。左大臣か右大臣クラスの屋敷だと大騒ぎになり、一時は橘諸兄の邸宅だとも言われたのですが、「長屋皇宮」と書かれた木簡が見つかり、長屋王邸跡であることが分かりました。
歴史的に重要な史跡なので、反対もあったようですが、結局、保存されることなく埋め立てられ、今はこのような建物が建っています。
そのミ・ナーラの道を渡った向こう側に宮跡庭園があります。ここは長屋王邸跡の発掘より前の昭和50年(1975年)の発掘調査で見つかった庭園遺跡です。この写真は歩道橋の上から撮った庭園遺跡の全貌です。
ここは入り口です。
中はこんな薄暗い林になっていました。奈良の街中だとは思えませんね。
ジョウビタキがいました。
さらに林の中を歩いていきます。
すると、突然視界が広がり、正面にミ・ナーラの建物が見えました。手前にあるのが玉石を敷き詰めたS字型の曲水を形づくった園池です。
左側にあるのは池を観賞するための建物で、復原されたものです。
この建物の中に入ることができました。
中から外を見ると、こんな感じになっています。
外に出てみると、園池がよく見えました。
池の向こうには梅が咲いていました。ここは平城宮の離宮的な場所で皇族などの邸宅があったと考えられています。
その池にセグロセキレイが来て水浴びをしていました。
この辺りの場所には5棟の掘立柱建物群と2基の井戸があり、池を鑑賞する場所であったとされています。
池には北側にある菰川(こもがわ)から水を引き、一時的に溜めておいてそこから木樋で池に水を流していた考えられています。
こちらは出口です。
発掘したときに園池の形がはっきり分かっていたみたいです。驚きです。
そして、宮跡庭園と書かれた看板です。この後、法華寺と佐保川沿いの河津桜を見に行ったのですが、それはまた次回にでも。
雑談)今日は久しぶりにハエの検索をしてみました。しばらくぶりだったので、各部の名称がなかなか思い出せず、だいぶ苦労をしました。でも、とりあえず、ハナバエ科には辿り着き、属の検索をしているところで中断しています。顕微鏡写真を撮ったので、また、今度出すことにします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます