京都話に戻りま~す
次は光雲寺。
南禅寺の境外塔頭になります。
なんでこんなに離れた場所に塔頭?と思う方もいると思いますが、南禅寺は、明治の廃仏毀釈でこれでもかってくらい政府の攻撃の的になって大打撃くらった大寺のひとつなんです。
基本的に、徳川の恩恵を受けていたお寺さんはみんなこういう目にあっているんですが、南禅寺の場合、元々の規模が巨大な分被害も大きかったんです
しかもその塔頭にあたる光雲寺は、東福門院和子が菩提寺として再興したお寺。和子は後水尾天皇の中宮ですが、元は徳川。そのため、余計に打撃がでかかったんですね~
そんな光雲寺ですが、先にも書いたように、東福門院が菩提寺として再興したお寺です。
東福門院は、2代将軍秀忠と大河で話題のお江さんの子で、3代将軍家光の実の妹。バリバリの徳川家の者なんですね~
しかも再興にあたり、秀忠の遺金を使ったこともあってか、徳川の菩提寺になっています。

やっぱり、南禅寺からは離れた場所にあるからですかね~思っていたより空いていた

仏殿。
中はさすがに撮影禁止ですが、ここに、有名な東福門院像が安置されています。
本尊は釈迦如来様。
その手前の左右に、ゴージャスな厨子
に入った東福門院象と、荒ぶる波に負けじと舟をこぐ救世観音がいらっしゃいました。
救世観音は、聖徳太子作と言われているらしい。
この像、本当に珍しいお姿なんですよ。リアルに舟漕いでるんだもん
ちょっぴり優美さが度を越えてしまった感もありますが、でもやっぱりあの姿は美しかった

今回は特別公開で、どセンターには、長年秘仏だった運慶作と言われる聖観音像が
もう、お姿といい、台座といい…もう何もかもがゴージャス

素晴らしい細工でした
東福門院の念持仏と言われているだけあって、菊(天皇)と葵(徳川)の紋が両方刻まれ、それが余計にゴージャスぶり増してた気が
そして仏殿の奥。
そこからはお庭を眺めることができます。

この庭の水は琵琶湖から引かれた、琵琶湖疏水です。
そしてここにもまた登場

清正が朝鮮から持ち帰った石で作った、『瑪瑙の手水鉢』
…だからどんだけ清正は持って帰ってきたんだよってツコッミがしたい
別の部屋から見る庭は、窓枠を通してまた違った風情がありました


最後に外にある鐘桜と鐘。

これは後水尾天皇と東福門院の子である明正天皇寄進と言われています。

次は光雲寺。
南禅寺の境外塔頭になります。
なんでこんなに離れた場所に塔頭?と思う方もいると思いますが、南禅寺は、明治の廃仏毀釈でこれでもかってくらい政府の攻撃の的になって大打撃くらった大寺のひとつなんです。
基本的に、徳川の恩恵を受けていたお寺さんはみんなこういう目にあっているんですが、南禅寺の場合、元々の規模が巨大な分被害も大きかったんです

しかもその塔頭にあたる光雲寺は、東福門院和子が菩提寺として再興したお寺。和子は後水尾天皇の中宮ですが、元は徳川。そのため、余計に打撃がでかかったんですね~

そんな光雲寺ですが、先にも書いたように、東福門院が菩提寺として再興したお寺です。
東福門院は、2代将軍秀忠と大河で話題のお江さんの子で、3代将軍家光の実の妹。バリバリの徳川家の者なんですね~
しかも再興にあたり、秀忠の遺金を使ったこともあってか、徳川の菩提寺になっています。


やっぱり、南禅寺からは離れた場所にあるからですかね~思っていたより空いていた


仏殿。
中はさすがに撮影禁止ですが、ここに、有名な東福門院像が安置されています。
本尊は釈迦如来様。
その手前の左右に、ゴージャスな厨子

救世観音は、聖徳太子作と言われているらしい。
この像、本当に珍しいお姿なんですよ。リアルに舟漕いでるんだもん

ちょっぴり優美さが度を越えてしまった感もありますが、でもやっぱりあの姿は美しかった


今回は特別公開で、どセンターには、長年秘仏だった運慶作と言われる聖観音像が

もう、お姿といい、台座といい…もう何もかもがゴージャス


素晴らしい細工でした

東福門院の念持仏と言われているだけあって、菊(天皇)と葵(徳川)の紋が両方刻まれ、それが余計にゴージャスぶり増してた気が

そして仏殿の奥。
そこからはお庭を眺めることができます。

この庭の水は琵琶湖から引かれた、琵琶湖疏水です。
そしてここにもまた登場


清正が朝鮮から持ち帰った石で作った、『瑪瑙の手水鉢』

…だからどんだけ清正は持って帰ってきたんだよってツコッミがしたい

別の部屋から見る庭は、窓枠を通してまた違った風情がありました





最後に外にある鐘桜と鐘。

これは後水尾天皇と東福門院の子である明正天皇寄進と言われています。