当方見聞記

旅と舞台・ライブ話を気ままに書いてます

妙心寺 麟祥院

2011年02月11日 | 日記
妙心寺にはもう一カ所、冬の特別公開が行われています。

それは麟祥院。

三代将軍家光が春日局の菩提寺として建立した妙心寺の塔頭寺院です。東京にもあるのでそっちのが有名ですね
 

門をくぐると、ちゃんと春日局の稲葉家の家紋の瓦が

「見ろ!」といわんばかりに庭に
『三』となっているやつが稲葉家の家紋です。

ここも中は撮影禁止でしたので説明だけ…

方丈の襖絵は、春日局と親交があった海北友雪の作の雲龍図が描かれています。
この襖絵は、左右の襖で龍が雄雌に分かれている、珍しい絵です。
角が、雌は下向きなんですよ線の描き方もちょっと優しい感じ。
雄の方が迫力ある絵でしたね~やっぱ

ちなみにこの海北友雪。
春日局との接点は、父親、斎藤利三の話までさかのぼります。
春日局は元の名は斎藤福(結婚して稲葉福になります)、父は美濃斎藤氏の斎藤利三。
斎藤道三の息子義龍の家臣でしたが、稲葉一鉄が信長に寝返るとそれに従って稲葉家の家臣に。
が、一鉄とは折りがあわず、喧嘩別れをして明智光秀の家臣になります。
光秀は利三の能力を買って大変重宝していたと言われています。一鉄がその後に信長にすがって光秀から利三を返してもらうよう要請しても、光秀は信長相手にそれをつっぱねて返さなかったという話があるくらい。それくらい有能で光秀の信頼が厚かった人なんですね~
本能寺の変の後は近江堅田で捕えられ、六条河原で処刑されました。
そして謀反人として晒されていた遺体…というか首は、親交が深かった絵師の海北友松が本能寺から持ち出し(奪い取ったとも…)、真正極楽寺に葬られました。
この海北友松、この人が友雪の父にあたります。
そんなわけで、春日局と海北友雪は父親同士の親交がハンパなく深かったんですね~
しかも春日局にしてみたら恩義もあったはず。
絵師としていまいち売れていなかった友雪を、春日局が紹介したことによって、この襖絵を描くことになったんだそうです。

…と説明が長くなった。光秀が絡みの話だとどうしてもね~

庭は撮影可だったのででパシャリ

奥に見えるのが御霊屋。
後水尾天皇(秀忠・お江の子で家光の妹でもある和子の夫)より仙洞御所の釣殿を下賜されたもので、方丈から橋みたいな通路で繋がっています。
中には小堀遠州作と言われる春日局木像が安置されています。
この木像は、春日局が後水尾天皇・和子に初めて謁見した際の姿と言われ、年配の風貌しています。
頭上には、ちょっと時代も入手先もわからない、ガラス玉などからできた、簡易シャンデリアみたいなものが…
正確に言えば赤ちゃんの頭上に垂らすやつ、あんな感じ…のゴージャス版。かな?
なんかちょっぴりお寺さんに合わない感じで不思議でしたね

御霊屋からの庭の景色。


この他にも、春日局が家光から賜ったと言われる『百椿図屏風』なども公開しています。
いろんな種類の椿が描かれていて華やかな色ですが、綺麗って言うより、なんだか草花図鑑みたいでした