や~と写真整理したので、アップ(笑)
天下の徳川の本拠地。江戸城です
説明しなくても知ってる方が大半なので、大雑把に行きます
江戸城は最大規模の敷地を持ったお城です。現在は皇居に使用。
一般的に知られている…近頃有名なジョギングコースのお堀はなんと内堀。歩いたら十分な広さなのに
外堀は、JR中央・総武線から見える川です。
歩いて簡単に両方見れる場所で言えば、武道館を出て、九段下駅のとこにあるのが内堀。さらに歩いて飯田橋駅まで行くとある川が外堀になります
現在の皇居東御殿が江戸城跡として今観光できる場所です。
入口は何箇所かありますが、二重橋に寄ってから入ったので大手門から入りました。
旧江戸城の正門でもある大手門は藤堂の建築。当初は現在のような枡形ではなく、政宗などによる修復の際になったと言われています。
しかし、どの門もがっちりしていて本当に見事だわ…
この門をくぐると、受付があり、番号札を渡されます。(出口で返却)
見学は無料なんだけどね、警備面の問題でなんでしょうなぁ
入ってすぐにあるのは三の丸尚蔵館です。
天皇家のお宝が見れます
行った時にやっていたのは『外国からのごあいさつ』。天皇家の方々が諸外国の貴賓の方々からいただいた品々の展示です。
もう、一言しかありません。
レベル違うよ…
凄すぎるんだよ、ひとつひとつが
何せどれ取っても各国の自慢の品ですから。凄いしか言いようがない
無料で入れますんで、ここを入らないのは絶対損ですよ
進んでいくとあるのが、同心番所。
そして百人番所。
“百人”とつくだけあって、本当に横にでかい
…ま、実際百人規模の詰所だったらしいし
鉄砲百人組と呼ばれた、忍者で有名な伊賀・甲賀・根来と二十五騎組が昼夜交代制で詰めていたそうです。
中之門跡。横には石垣の修復などのパネルや、石垣の石などが少し展示されています。
門くぐる人見えます?
本当にでかいんですよ、この門も石垣の石も
この門を越えるとすぐにあるのが大番所。
この3つの番所が現在残っている番所になります。
中雀門跡をくぐり、あまり人気のない庭の方へ向かうと、こっそりと富士見櫓が見えます。
門があって中に入れないどころか近づけもしないんだけど
この櫓は、皇居の方にあった巽櫓、二重橋の奥に見えていた伏見櫓に続く現存櫓。(3櫓とも関東大震災で壊れましたが、解体して復元)
しかもこの富士見櫓は唯一の三重櫓。
明暦の大火で天守がなくなった際には、ここを天守の代わりにしていたそうです
ぐるっとお庭を回っていくとパネルが…
松の廊下跡。
赤穂浪士で有名な、浅野内匠頭が吉良さまに切りかかった松の廊下はここにあったんですね~。ま、今は何もないですが…
向かいには、本丸大芝生。これは牛砲台跡になります。
ちょっと高台から撮るとさらに広さがわかります。
いや~本当に広い
芝生の端の方にあった桜…みたいだけど、時期的に梅だよね?それとも早咲き桜??が少し咲いていました
高台の場所の横には富士見多門があり、その横には石室が。
何に使われていたか色んな説があるようですが、大奥の脇なので、大奥の倉庫に使われていたんじゃないかと。
天井に長い石の板が使われているらしいですが、これまた入れないし覗けもしないのでわからず…
その横には竹林。変わった種類の竹が少しづつ植えられていました。
長すぎるから天守はまた次回書きます
天下の徳川の本拠地。江戸城です
説明しなくても知ってる方が大半なので、大雑把に行きます
江戸城は最大規模の敷地を持ったお城です。現在は皇居に使用。
一般的に知られている…近頃有名なジョギングコースのお堀はなんと内堀。歩いたら十分な広さなのに
外堀は、JR中央・総武線から見える川です。
歩いて簡単に両方見れる場所で言えば、武道館を出て、九段下駅のとこにあるのが内堀。さらに歩いて飯田橋駅まで行くとある川が外堀になります
現在の皇居東御殿が江戸城跡として今観光できる場所です。
入口は何箇所かありますが、二重橋に寄ってから入ったので大手門から入りました。
旧江戸城の正門でもある大手門は藤堂の建築。当初は現在のような枡形ではなく、政宗などによる修復の際になったと言われています。
しかし、どの門もがっちりしていて本当に見事だわ…
この門をくぐると、受付があり、番号札を渡されます。(出口で返却)
見学は無料なんだけどね、警備面の問題でなんでしょうなぁ
入ってすぐにあるのは三の丸尚蔵館です。
天皇家のお宝が見れます
行った時にやっていたのは『外国からのごあいさつ』。天皇家の方々が諸外国の貴賓の方々からいただいた品々の展示です。
もう、一言しかありません。
レベル違うよ…
凄すぎるんだよ、ひとつひとつが
何せどれ取っても各国の自慢の品ですから。凄いしか言いようがない
無料で入れますんで、ここを入らないのは絶対損ですよ
進んでいくとあるのが、同心番所。
そして百人番所。
“百人”とつくだけあって、本当に横にでかい
…ま、実際百人規模の詰所だったらしいし
鉄砲百人組と呼ばれた、忍者で有名な伊賀・甲賀・根来と二十五騎組が昼夜交代制で詰めていたそうです。
中之門跡。横には石垣の修復などのパネルや、石垣の石などが少し展示されています。
門くぐる人見えます?
本当にでかいんですよ、この門も石垣の石も
この門を越えるとすぐにあるのが大番所。
この3つの番所が現在残っている番所になります。
中雀門跡をくぐり、あまり人気のない庭の方へ向かうと、こっそりと富士見櫓が見えます。
門があって中に入れないどころか近づけもしないんだけど
この櫓は、皇居の方にあった巽櫓、二重橋の奥に見えていた伏見櫓に続く現存櫓。(3櫓とも関東大震災で壊れましたが、解体して復元)
しかもこの富士見櫓は唯一の三重櫓。
明暦の大火で天守がなくなった際には、ここを天守の代わりにしていたそうです
ぐるっとお庭を回っていくとパネルが…
松の廊下跡。
赤穂浪士で有名な、浅野内匠頭が吉良さまに切りかかった松の廊下はここにあったんですね~。ま、今は何もないですが…
向かいには、本丸大芝生。これは牛砲台跡になります。
ちょっと高台から撮るとさらに広さがわかります。
いや~本当に広い
芝生の端の方にあった桜…みたいだけど、時期的に梅だよね?それとも早咲き桜??が少し咲いていました
高台の場所の横には富士見多門があり、その横には石室が。
何に使われていたか色んな説があるようですが、大奥の脇なので、大奥の倉庫に使われていたんじゃないかと。
天井に長い石の板が使われているらしいですが、これまた入れないし覗けもしないのでわからず…
その横には竹林。変わった種類の竹が少しづつ植えられていました。
長すぎるから天守はまた次回書きます