「エマ Emma」(1814)ジェーン・オースティン
訳・ハーディング祥子 1997青山出版社
すでに5回も映画化
訳者あとがきでも書かれている通り、
「読者の好き勝手な解釈を許してくれる作品」
だと思う。
導入部分からだんだん「なんだ、この主人公、おかしくないか」と思わせて、後から「その通り、おかしいんですよ」と教えてくれる。これは読ますためにテクニックなんでしょうね。
とんだ思い上がりの勘違い娘、自分が見えてない愚かな娘、親の資産による権威を笠に着た田舎娘、頭の回転が速いだけで怠惰な娘、軽薄無知な小娘、友情も愛情も理解していない未熟さ、自己弁護だけは上手い破廉恥娘。
自分の理想は高く、つりあう相手がいないと思うくせに、回りの女たちには男を押し付ける傲慢さ。唯我独尊。
そんなエマと、彼女の嫌う人々を一括りにして、「上流」をこき下ろす作品にも見える。
エマが他人をけなす時、その言葉がことごとく彼女自身のことを表現しているのがその愚かさを表して面白いのだ。作者もそれを楽しんで書いたと思われる。
自己弁護と勝手な解釈によってハッピーエンドになっているが、主人公をハリエット(主人公からの一番の被害者)に変更したならば、もっとどろどろの人生劇場が描かれるだろうし、その他の一般的な人たちから見たら、この主人公は決して好かれる人格ではないはずだ。その部分を強く感じる私は、「早く不幸になれ~、大きな災いよ来い!」と祈りながら読んだんですよ。殺人事件が起こってもおかしくないと思いながら。
まあ、こういう女だから、この先を考えると幸せになるはずもなく、たぶん多くの裏切りに遭うだろうと妄想して楽しめます。
たぶん、エマ自身がこういう作品を読んだとしたら、主人公を思いっきり嫌うと思うんですよね。
どうでしょう。
(作者は親的な立場から、主人公を大好きなようですけど)
※ナイトリー氏中心に考えると、29歳で13歳の少女に恋をして、それから9年間見守り続けるんですね。う~ん、ロリコン。そうか、この少女に軽蔑されないように自己管理をしていたのだな。・・・たぶん、ナルシスト・・・
懐いてきたところで告白していたら、いくらでも騙せただろうに。もしかして、童貞・・・それはないな。ははは。
「おーほほほほ、私はエマ。ハートフィールドの主よ」
「おーほほほほほほほほほ、私をあがめるハリエット、あなたを私の友達にして差し上げるわ」
「だめよ、ハリエット、あなたは私の友達なんだから、下々の男なんて相手にしちゃだ~め~」
「ああ、ハリエットごめんね~、あなたにはちょうど良いと思って紹介した男、私に惚れちゃったんだって。でも、私には不釣合いだわ。ま、私につりあう男はいないけどね~」
「次の男はどうよ。ステキでしょ。上手くやってよ」
「え!私の大事なおじ様を好きなの?やめてよ!あんたなんかにふさわしくないわよ。私が一番でなきゃだめなんだから!」
「ほら見なさい、おじ様も私のことが好きなんだから、ハリエットは下々の男とくっつくのがお似合いよ。それが幸せってものでしょ」
「うきー!私よりもおしとやかで上品で能力のあるきれいな女なんて会いたくもないし、話も聞きたくないわ。存在をやめてよ!」
「うきー!無学なおしゃべりなんて氏んでよ!」
「うきー!上流ぶっている下品な自己中大嫌い、嫌い、嫌い、嫌い!」