「安部公房とわたし」山口果林 2013講談社
安部公房というから新潮社かと思ったら講談社だった。ああ、なるほど、いろいろとしがらみ(反発)があるのね。やらかしちゃったということになっているんだな。きっと。いや、やらかしていたんだけどさ。真知さんも亡くなっているから大丈夫かと思ったら、ねりさんが2011年に『安部公房伝』とかいうのを新潮社から出してるんだ。ふ~ん、いや~でも、新潮社としてはどちらも独占したいところじゃないの?そうはいかないのか。うん、やっぱ、確執はどちらにもあるということかな。
安部公房という教祖をイメージした。わかるはずのないものを追いかけて終わるはずのない関係へ~とか。思ったよ。
そして、安部公房側からしたら、創作の行き詰まり解消のために始めた浮気じゃないかと。で、はまり込んで演劇に逃げると。その演劇、安部スタジオも果林が抜けるだけで休眠でしょ。まあ、『密会』とかその後の作品には果林の影響があったと思うし、創作の糧にはなったのかもね。
それにしても果林さん、安部公房から文章の指導を受けたとは思えない下手さだよね、文章自体も構成も。この本はMEMOだろ。
たぶん、言えないことが多くてこんな形になっちゃったんだろうな。真知さんやねりさんに言いたいことが山ほどありそう。怖っ。
金の話がところどころ出てくるんだけど、「私が払った」「私は知らない」がうしろめたさを示すのかもね。いや、公房の親族から言われていることが想像できるか。
あ、それにこれ、年金を受け取る年齢になったからこの本も引き受けたんじゃない?『年金すくねー!』ってびっくりしての小遣い稼ぎで。安部公房が亡くなって20年という節目だと言い訳もできるし。
受験の失敗から始まった安部公房との出会い。
失恋のすぐ後から公房が亡くなるまでの付き合い。
奥さんと別居してからも会う時間が変わらなかったということは、安部公房は奥さんとも別居後もうまくやっていたんじゃないの?果林が知らないだけで。きっとそうだわ。だよねえ、安部公房が亡くなってその年のうちに真知さんも亡くなっているらしいしさ。
新潮社が安部公房にノーベル賞をとらせるつもりで、スキャンダルを避けるために真知さんも果林さんも我慢していたってことかな。そのほかの関係者たちも見ないふりをしていたのはそこなのか。
果林さんは非常にドライなんだわ。損得勘定もうまいんだわ。安部公房を超える男が現れなかったんだな。現れたらとっとと乗り換えてたね。ってか、本人が思っている以上に安部公房のことは知れ渡っていたんじゃないの?だから男たちは手を出そうとしないとか。
だいたい親に言われなきゃ二股平気な女だったんだから。
で、夫婦が共犯者に例えられるように、公房と果林の関係もそれこそ共犯者だったろう。なので、この本は『共犯者 安部公房』というタイトルにでもすれば、もう少し内容も変わったのではないだろうか。ノーベル賞をめぐって他の関係者たちも含めて『共犯者』という意味で。
丸山健二がかっこいい「誰ですか、あなた?」と作品を褒めようとした安部公房に。なので、「夏の流れ」と「惑星の泉」は読んでみたい。もちろん、ねりさんの『安部公房伝』もだな。
※2012年に発見された安部公房の「天使」は全集に収録されていないってことだな。
で、「天使」の発見による安部公房人気にあやかって、この本も出版されたのか。なるほど。