濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

横浜根岸の「不動坂」

2016年02月15日 | ひとりごと・・

今朝、横浜・根岸「不動坂下」の16号でスピード違反の取締りが行われていた
幸い、前の車が先に気付き、スローダウンしたので“間一髪”セーフ!
数台「御用」となっていたが、週の始まりからキップを切られちゃテンションもあがらない

さて、不動坂とは、幕末開港期に外国人遊歩道のルートの一部として造られた坂だ
そのきっかけとなったのは日本史で必ず習う生麦事件(文久2・1862)に関係する



この事件以降、諸外国は大激怒!東海道に代わる新道を造り大名行列はそちらを通せ!
と、幕府に詰め寄った。窮地に立たされた幕府であったが、新たに着任して間もない
アメリカ公使から「山手を居留地として開放、本牧を往還する乗馬の道を造ってはどうか」

この提案に幕府は渡りに船!とばかりに飛びついた!!
なぜなら、幕府は、東海道から外国人を遠ざけたくてしょうがなかったからだ
その結果、慶応元年(1865)に「外国人遊歩道」が整備される

また、その翌年(1866年)には、不動坂のてっぺんに「根岸競馬場」が造成される
これが日本初“西洋式競馬場”であり、横浜在住の外国人のための娯楽施設となった
その後、競馬場は米軍に接収され、返還後は「根岸森林公園」として整備された



いまでもアメリカ人建築家J・H・モーガンが設計した「一等馬見所」が遺されており、
根岸森林公園に行けば、華やかしころの面影を見ることができる

ところで、この「不動坂」の名前は、坂の途中にある「お不動さん」に由来する
正式には「白滝不動堂」、磯子にある宝積寺の境外仏堂だ

会社の先輩によると、先輩がハナタレ小僧のころ、このお不動さんに隣接する「白滝」、
その水量は半端じゃなく、一年中、滝行をする行者さんで賑わっていたそうだ!!
明治の文献によれば、白滝はかつて、高さ約18m、幅約0.6mの滝だったそうだ

しかし、台地上の開発が進んだ結果、水源が細ってしまい、今ではチョロチョロ・・・
わずかに一筋の水が流れ落ちているのみ。その面影は見る影もない

その昔、水量が豊かであったころ、外国人遊歩道の中でも特に自然景観に富んだ根岸
そして白滝不動は外国人にことのほか喜ばれた!という



いまでも不動坂に面して、約100段!急こう配の石段が不動堂まで続いており、
ボクシングの歴代チャンプがこの石段を上り下りしている姿を幾度も目撃している
オイラも挑戦!しようと思ったが、健康を害する恐れがあるのでやめた・・・



さて、不動坂を登っていくと、荒井由実の名曲「海を見ていた午後」で有名なレストラン
ドルフィンがある。「山手のドルフィンは静かなレストラン~~」
「ソーダ水の中を貨物船がとおる~~」

あまりにも家から近すぎて入ったことがないけど、ドルフィンに関しては、その歴史を
詳細に書いてあるのでバックナンバーから検索して見てほしい



そして、このドルフィンの前を通って頂点に到達すると、米軍の消防署があり、その背後に
「根岸森林公園」の広大な敷地が広がる



森林公園はハマを代表する「サクラ」の名所!また、「馬の博物館」も隣接している
根岸駅から21系統のバスに乗り、お不動さんの参道(石段)、そしてドルフィンを見て、
所用時間は約10分!旭台のバス停で下車すれば「根岸森林公園」だ

幕末から明治にかけて栄華を誇った横浜・根岸
いちど訪れてみては?

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