Festina Lente

ゆっくり急いでまいります

アノミーな現代人の孤独と秋葉原の事件について

2008年06月10日 | Blog徒然草
 犯人以上に孤独で苦しくてルサンチマン(恨み)を抱えている人はたくさんいますよね。でも、その孤独や苦しみやルサンチマンは、何かしらの手段で折り合いをつけて生きていくのが普通です。でも、犯人は、全くの他人を巻き込み、凶行に及んでしまった。

 この点には、偉い専門家の方々の分析やご意見もあるでしょうが、ここはひとつ、自分の身に引き比べて考えてみたいと思います。

 僕にもやりきれないルサンチマンはあるし、挫折した人の気持ちは、とてもよくわかるつもりです。そんな僕でも、他人を殺して憂さを晴らすようなまねはできません。せいぜい、ベロンベロンに酔っ払って、うだうだと独り言に愚痴を言いつつ、泣きながら寝てしまう・・・。そんなところです。とにかく、現在の自分の境遇は、社会のせいでも、親のせいでも、友達のせいでもなく、ほかならぬ自分のせいです。自分が全て招いたのだということですね。発狂しかけた時でさえ、このことだけは意識にありました。ですから、社会に攻撃をしかけるというような、オプションはなかったのです。自分が悪い、だからこんな自分はこの世から抹殺してしまえ、こんな意気地のない人間はいないほうがいいんだ、という意識はありましたが、「だれかれのせい」というのがなかったのが僕の場合は救いでした。それは後に述べる友人たちのおかげなんですが・・・。

 
 もし、自分が社会から抑圧されて、また、借金取りに追いかけ回されて、二進も三進もいかなくなってしまった状況に陥ったらどうするでしょうか?

例えば、人を殺すことだけにはけ口を求めるなら、誤解を恐れずに言えば、僕ならフランスの外人部隊にでも入って、大義のためと称して戦地に赴きますね。犯人がやっていたゲームなどとは比べ物にならないリアリティが味わえます。当然自分の命の保障もないわけですが、そんなのはもとより承知のうえのことですからね。それに、そこまでは、借金取りも追いかけてこないでしょう。誰でもいいから人を殺すだけの目的なら(もちろん、僕は、人を殺したいとかいう衝動は全くないですから、そんなオプションは取れません)。

社会的に抑圧されるということについてはどうでしょうか?犯人は派遣社員で、会社と問題を起こしていたようにも聞いています。僕も少し前までは同じような身分でしたから、首にされる恐怖みたいなものは良くわかります。
また、犯人は、青森県のエリート高校を卒業した、という意識も強いようです。
なのに自分は負け組だ、という意識も大いにあったようですね。勝ち組はみんな死んでしまえ!という書き込みもあったようです。

この点、僕の大学時代の同期は、みんな一流企業、官公庁などで出世していますし、僕の何倍も収入がある人がほとんどです。そういう人たちと比べれば、自分を負け組だと思うこともあります。中島敦の「山月記」で、虎になった李徴の気持ちが痛いほど良くわかります。

それに、テレビのコメンテーター、キャスター、みんな口を揃えて、勝ち組の論理を語ります。勝ち組の人たちに、負け組の悲惨さ、辛さは決して理解できませんよ。自分がそうなったことがないんですから。明日食べるご飯がない、とか、お風呂に入れない、とか、帰る家がない、とか、いうことがどういうことなのか、決して実感できないでしょう?そういう意味で、勝ち組の人たちは、とても愚かです。
マリーアントワネットの「パンがないなら、お菓子をお食べ!」ですよ。

では、借金で首が廻らなくなったらどうするか?犯人は借金があったようにも報道があったのですが、この辺ははっきりしません。万一僕が借金で首が廻らなくなったら、お金を貸してくれた人には申し訳ないですが、自己破産申請します。だから、やけになって事件を起こしたりしません。

「自分の生き方、価値は自分で納得できればいいのであって、収入とか社会的地位とか、他者による評価に基づくものを自己評価の尺度にはしない」これが、今現在の僕の第1テーゼです。これを、いわゆる勝ち組のみなさんから、「負け犬の遠吠え」と評価されても、僕は意に介しません。ご自由にどうぞ、言論の自由は確保されてますからね、です。他者の評価には動じません。僕は、そういう人たちが決して経験できなかったことをたくさん経験できましたから。

さて、最後に、犯人と僕が決定的に違っていたことがあります。それは、温かい人間関係です。犯人は親しい友人も少なく、恋人もいなく、ネットの書き込みがほぼ唯一のコミュニケーションだったようです。

街を歩いたり、電車に乗っていたりすると、若者の傍若無人ぶりが目に付きます。自分だけよければ人はどうでもいいのか?他人に対する配慮がなさすぎると思いませんか?ゲーム機や携帯をいじりながら前を見ていないで歩いていてぶつかっても謝りもしない、優先席に座っていながら携帯をいじっている人、満員の電車内でものを食べたり、化粧をしたり・・・。
こんな、人を人と思っていない社会の中で、温かい人間関係が全くない、という状況は、相当に辛いだろうと思います。もしかしたら、そんな人々に殺意さえ抱いてしまうかもしれません。

僕が発狂しそうになったときも、挫折して失意の日々を送っていたときも、僕を励まし、慰めてくれる友達がいました。僕にはほんとに過ぎた友人たちです。本当に有り難いです。だから、発狂せず、事件を起こさず、破産もせず、なんとか世の片隅に存在できたのです。もちろん妻の存在が大きいことはいうまでもありません。感謝してもしきれません。自分のこの境遇は、かけがえのないものです。

プライドもなく、仕事も収入も不安定で、さらに温かい人間関係さえもないアノミーな孤独な人々が、おそらく、今後の凶悪事件の予備軍なのかもしれません。さらに、他者評価のみに基づいて勝ち組だと思っている人々も、日本経済が大停滞するとき、同じくこういう人々の予備軍に仲間入りすることにもなるでしょう。

私たちは、自衛と自戒をさらに新たにするしか他にどうしようもありません。










 
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地球環境のこと

2008年06月10日 | Blog徒然草
地球環境のことを意識しはじめたのは、小学生の時、父親の仕事の関係から、野生動物が激減していること、奥山に餌が少なくなって、動物が里に降りてきては農作物を荒らしている、というようなことを聞きはじめてからです。
その後、カールセーガンのコスモスに、温室効果のことが書いてあり、宮沢賢治のグスコーブドリの伝記にも出ていること知りました。
そして、地球上で全ての生産活動を宇宙に移し、人口問題、食糧問題、地球環境問題を一挙に解決する方法として、アメリカ・コーネル大学(?)のライアン・オニール博士、東京大学の大林辰蔵教授のスペースコロニー計画を知りました。
地球と月の重力がちょうど釣り合うラグランジュポイントという広大な宇宙空間に大きな宇宙ステーションを建設しようという計画です。技術的には、すでに可能なのだそうです。また、月の地質は地球のによく似ていて、化石燃料以外のほぼすべての鉱物資源があり、今のペースで採掘しても一万年はもつことも知りました。ですから、スペースコロニーの建設には月の資源を使えばいいとのことでした。
そして、全世界の国々が、それぞれGNPの1%づつ出し合えば開発資金はまかなえるそうです。
ないのは、人類のコンセンサスだけだど博士たちは言っていました。
僕自身は、昔から、これが早く実現すればいいなあと思いました。
根本的な解決にはなりませんが、発展途上国の経済発展と先進国の生活水準を維持しながら環境問題を解決するには、今でもやはりこれしかないように思います。
コメント (4)
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初夏の夕べ

2008年06月10日 | MUSIC&ART
Corelli / Sonatas Op.5 Nos.7-11, La Follia
Frans Bruggen / Anner Bylsma & Gustav Leonhardt
Sony

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自分の魂が何処かにそぞろ出るような錯覚を覚えるこの夕べ、少しだけ慰みになるうら悲しい曲を。もう一日だけ・・・。
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