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羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

寛永寺

2008年11月24日 19時22分42秒 | Weblog
 日曜日の夜8時、『篤姫』を見続けてしまった。
 昔、むかし、大河ドラマを見ていたことはあったが、最近はまったく見ることはなかった。
 今年ほど欠かさずに見たのは、初めてかもしれない。

 さて、ドラマもいよいよクライマックスだ。
 昨日は、徳川慶喜が上野・寛永寺に謹慎の身となった。

 実は、野口三千三先生のお骨は、ご自宅が留守になるため、百か日の納骨の日まで、この寺に預けられていた。
 そうした関係から、古いお弟子さんは、我が家に見事な花や立派な果物等の供物とこころのこもった手紙を添えて贈ってくださった。
「先生のもとにお届けください」
 そのことばを無下にするわけにはいかない。
 思案した挙句、勇気を出して、失礼のない服装に着替えて寺を訪ねた。
 供物を届けるだけの心積もりで出かけたが、なんと仏間に通してくださったのだった。
 一回ではなかった。
 訪ねるたびに、お骨を前に焼香をさせてくださる。

 丁度、『篤姫』では、将軍を中心に皆が揃って、朝の祈りを捧げるシーンが何度も見られたが、あの部屋よりももっと広い二間続きの仏間に通されるのだ。
 須弥壇は中央にあって、仏様が安置されている。
 まわりには位牌も見られる。
 その前に先生のお骨が置かれ、さらに焼香台にある蝋燭に火が灯されて、香りのよい香が用意される。
 その間、控えの間で、待っている。
 
 静々と須弥壇の前に進み、焼香し手を合わせ、静かに弔う。
 かなり離れた部屋の入り口の近くでは、案内してくれた若い僧侶が正座してじっと見守っている。

 しばらくして、こちらの動きを察知し、声をかけてくださる。
「ご苦労様でございます。故人になられた方も、こうしてお参りに来てくださると、さぞお喜びのことと存じます」
 少し間をおいて
「ありがとうございます」
 私も居住まいをただし感謝の気持ちを伝え、お礼を言う。
 もう一度、お辞儀をして退出する。
 ひっそりとした庫裏の中を、内玄関へと戻り、見送りを受けて境内に出る。
 
 こうした時間をいただけたことは、もの凄くありがたかった。
 そしてその寺が、歴史の舞台になったところであったこと。
 最後の将軍が、同じ廊下を歩み、同じ部屋にもおわしたことがあると想像すると、感慨深いものがある。
 
『篤姫』のなかで祈るシーンを、私は、10年前の‘祈りの時間’と重ねて、見ていたのだと思う。
 ドラマは非常に脚色されたものであっても、かまわない。
 ドラマはドラマだ。
 しかし、まったくの嘘ではあるまい。

 時代は変わっても、同じ空間に身をおいたこの経験は、野口先生からいただいた形のない大いなる遺産だと思っている。
 
 30日はいよいよ‘無血開城’らしい。