刀 丹波守吉道(大坂初代)
刀 丹波守吉道
川の流れを想わせる刃文構成
江戸時代初期の刀工において個性の強い作を遺したのが丹波守吉道一門である。吉道は京都に栄え、初二代によってこの作例のような刃文構成が考案された。刀身と平行な筋状の刃文構成とされている点が良く分かると思う。互の目や丁子刃が刀身と直角方向に働きを求めたものであるのに対し、吉道のこの刃文は、刀身と平行に意図されているのである。江戸時代の研究家の一人が、玉簾に似ていることから簾刃と呼んだといい、哀しいかな現在でもその呼称が一般的に用いられている。何と趣のない表現であろうか、この刃文構成は、吉道の住んだ京都を流れ下る桂川あるいは鴨川の流れを意図したもので、堰を越えて流れ落ちる川面、即ち川の流れの様子を刃文で再現したものと断言する。京の織物文化が育んだ雅な世界に通じる文様を、なぜに簾と呼んだのであろうか。必ずしも関連しないが、鐔など金工作品には、古正阿弥などに川の流れを図様化した作例がある。桜や紅葉の流れる川面は古来風雅な文様として好まれている。菊水の文様化もある。
刃文そのものを鑑賞しよう。この創意ある焼刃の根源は南北朝時代の相州刀にある。焼刃の沸が強く、沸の流れが刃中の沸筋、砂流しとなり、あるいは金筋がこれに伴って生じた様子に作意が覚醒されたものであろう、雅な京の刀工の中でも、殊に感性の鋭い刀工であるが故の芸術性と言えよう。
この刀を製作した吉道は初代吉道の子。兄が京の二代を継いだのに対し、商都大坂に移住して新地を開拓した一人。以降大坂に栄えており、これを大坂初代と呼んでいる。
地鉄は小板目肌が均一に詰んで地沸が付き、地景が鮮明に現われる。刃文は匂出来に所々小沸が叢付いてほつれの働きとなる。刃中に現われた杢目に沿って沸が付き、匂いを分けて金筋が渦巻き状に現われる。帽子は乱れ込んで金筋が稲妻のように現われ、先小丸に返る。
総体に激しい出来であることがよく分かると思う。ここに相州伝の基礎があり、相州伝だけではない、新味、即ち江戸時代の特伝と呼ばれる創意ある作風が覗いとれるのである。刃中の働きを鑑賞されたい。単なる絵画的な刃文ではないことに気付くであろう。
刀 丹波守吉道
川の流れを想わせる刃文構成
江戸時代初期の刀工において個性の強い作を遺したのが丹波守吉道一門である。吉道は京都に栄え、初二代によってこの作例のような刃文構成が考案された。刀身と平行な筋状の刃文構成とされている点が良く分かると思う。互の目や丁子刃が刀身と直角方向に働きを求めたものであるのに対し、吉道のこの刃文は、刀身と平行に意図されているのである。江戸時代の研究家の一人が、玉簾に似ていることから簾刃と呼んだといい、哀しいかな現在でもその呼称が一般的に用いられている。何と趣のない表現であろうか、この刃文構成は、吉道の住んだ京都を流れ下る桂川あるいは鴨川の流れを意図したもので、堰を越えて流れ落ちる川面、即ち川の流れの様子を刃文で再現したものと断言する。京の織物文化が育んだ雅な世界に通じる文様を、なぜに簾と呼んだのであろうか。必ずしも関連しないが、鐔など金工作品には、古正阿弥などに川の流れを図様化した作例がある。桜や紅葉の流れる川面は古来風雅な文様として好まれている。菊水の文様化もある。
刃文そのものを鑑賞しよう。この創意ある焼刃の根源は南北朝時代の相州刀にある。焼刃の沸が強く、沸の流れが刃中の沸筋、砂流しとなり、あるいは金筋がこれに伴って生じた様子に作意が覚醒されたものであろう、雅な京の刀工の中でも、殊に感性の鋭い刀工であるが故の芸術性と言えよう。
この刀を製作した吉道は初代吉道の子。兄が京の二代を継いだのに対し、商都大坂に移住して新地を開拓した一人。以降大坂に栄えており、これを大坂初代と呼んでいる。
地鉄は小板目肌が均一に詰んで地沸が付き、地景が鮮明に現われる。刃文は匂出来に所々小沸が叢付いてほつれの働きとなる。刃中に現われた杢目に沿って沸が付き、匂いを分けて金筋が渦巻き状に現われる。帽子は乱れ込んで金筋が稲妻のように現われ、先小丸に返る。
総体に激しい出来であることがよく分かると思う。ここに相州伝の基礎があり、相州伝だけではない、新味、即ち江戸時代の特伝と呼ばれる創意ある作風が覗いとれるのである。刃中の働きを鑑賞されたい。単なる絵画的な刃文ではないことに気付くであろう。