日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

刀 備中守康廣

2010-05-10 | 
刀 備中守康廣

 刀 備中守康廣                



 鎌倉時代の備前一文字の作風を手本とし、その再現を試みたのがこの石堂派。互の目丁子を専らとし、時に古作に紛れるような映りの起つ地鉄鍛えとしている。
 杢目交じりの小板目鍛えの地鉄は、鍛着部が密に詰んで微かな地景を伴い、躍動感に溢れた地相。江戸時代の刀の地鉄は、一般的には鎬地が柾目となるのだが、これは鎬地にも杢目が現われ極めて古風。微細な地沸が付いて絹目のような潤い感があり、古作を狙った意図が鮮明である。
 匂主調の互の目丁子乱刃は、足が刃先に向かって頻繁に射し、その一部は途中で切れて刃中に漂うように見える、これが飛足。焼頭は小互の目が高低変化し、一部は丸みを帯びた袋状に張って地に深く突き入り、鎬筋辺りにまで達する。刃縁は匂でほつれ、刃境淡く霞み、ここに足が叢立つように見える。刃中には肌目に沿った淡い流れのような匂の働きがあり、これが鋒にまで続いて掃き掛けを伴う小丸帰りの帽子に連続し、先端は刷毛目のように流れる。
 この写真でも仔細に観察すると、鎬筋と刃境の間に、小丁子の刃文を映したような丁子映りが淡く起っている様子がわかると思う。微妙な働きである。モニタによっては見えない可能性もある。じっくりと観察してほしい。もちろん現品には古風な映りが観察される。刃文と、この影のような映りがこの刀も最大の魅力である。



刀 丹波守吉道(大坂初代)

2010-05-08 | 
刀 丹波守吉道(大坂初代)

  
刀 丹波守吉道



川の流れを想わせる刃文構成

 江戸時代初期の刀工において個性の強い作を遺したのが丹波守吉道一門である。吉道は京都に栄え、初二代によってこの作例のような刃文構成が考案された。刀身と平行な筋状の刃文構成とされている点が良く分かると思う。互の目や丁子刃が刀身と直角方向に働きを求めたものであるのに対し、吉道のこの刃文は、刀身と平行に意図されているのである。江戸時代の研究家の一人が、玉簾に似ていることから簾刃と呼んだといい、哀しいかな現在でもその呼称が一般的に用いられている。何と趣のない表現であろうか、この刃文構成は、吉道の住んだ京都を流れ下る桂川あるいは鴨川の流れを意図したもので、堰を越えて流れ落ちる川面、即ち川の流れの様子を刃文で再現したものと断言する。京の織物文化が育んだ雅な世界に通じる文様を、なぜに簾と呼んだのであろうか。必ずしも関連しないが、鐔など金工作品には、古正阿弥などに川の流れを図様化した作例がある。桜や紅葉の流れる川面は古来風雅な文様として好まれている。菊水の文様化もある。
 刃文そのものを鑑賞しよう。この創意ある焼刃の根源は南北朝時代の相州刀にある。焼刃の沸が強く、沸の流れが刃中の沸筋、砂流しとなり、あるいは金筋がこれに伴って生じた様子に作意が覚醒されたものであろう、雅な京の刀工の中でも、殊に感性の鋭い刀工であるが故の芸術性と言えよう。
 この刀を製作した吉道は初代吉道の子。兄が京の二代を継いだのに対し、商都大坂に移住して新地を開拓した一人。以降大坂に栄えており、これを大坂初代と呼んでいる。
 地鉄は小板目肌が均一に詰んで地沸が付き、地景が鮮明に現われる。刃文は匂出来に所々小沸が叢付いてほつれの働きとなる。刃中に現われた杢目に沿って沸が付き、匂いを分けて金筋が渦巻き状に現われる。帽子は乱れ込んで金筋が稲妻のように現われ、先小丸に返る。
 総体に激しい出来であることがよく分かると思う。ここに相州伝の基礎があり、相州伝だけではない、新味、即ち江戸時代の特伝と呼ばれる創意ある作風が覗いとれるのである。刃中の働きを鑑賞されたい。単なる絵画的な刃文ではないことに気付くであろう。

  

脇差・刀 輝廣

2010-05-07 | 脇差
脇差・刀 輝廣

脇差 播磨守輝廣     刀 播磨守藤原輝廣




脇差 輝廣

 この脇差は、激しく動きの感じられる杢目交じりの板目肌、これに伴う鮮明な地景がより強靭な趣を高めている出来。地鉄に最大の魅力がある脇差。鉄を幾度も折り返し、鍛え合わせたその結果が鮮明に現われた作、いや、明示されたといって良いだろう、この肌合いは意図的に表現されたものである。播磨守輝廣(はりまのかみてるひろ)は南北朝時代の相州伝の作風の再現を目的とし、肌を強く表現している。刃文は打ち合いを考慮して焼を低くするのが特徴で、小沸に匂の複合になる焼刃は冴えて明るい。全体の姿を見てもらうと分かり易いが、刃長一尺三寸ほどで、抜刀に適した、まさに実用刀。これは南北朝時代に流行し、戦国時代を通して重宝されたものである。
 微細な地沸が全面に付いて古調な風合いを示す杢目鍛えの肌目に沿って、地景が地沸を掻き分けるように現われ、刃先側の柾目調の鍛え肌に於も地景は鮮明、これが刃中でも流れるような繊細な働きを生み出している。
 刀は板目鍛えの地鉄が所々柾目調に流れた肌合いが脇差と異なる点だが、これに地沸が付き、肌目に沿って地景の入る様子は脇差と同様。柾調の肌目が物打辺りから棟側に流れるのが輝廣の特徴の一つ。いずれも穏やかな刃文構成としている。


刀 輝廣

脇差 長曽祢興里虎徹

2010-05-06 | 脇差
脇差 長曽祢興里虎徹


脇差 長曽祢興里虎徹入道

 刀の知識はなくとも虎徹(こてつ)を知らぬ者はないだろう。寛文頃の江戸を代表する長曽祢興里虎徹の、小沸出来互の目乱の美しい脇差。最上大業物としても知られる虎徹は、澄んだ地鉄に変化のある互の目や綺麗に揃った互の目を焼くを特徴としている。本作は、沸が強く現われてはいるものの、沸と共に匂が厚く付いており、刃縁が冴えて殊に明るい。刀身中程の拡大写真を見ていただきたいのだが、沸から匂に変化している部分は分かり難い。実物を鑑賞すると、写真では見えないような、輝きと冴え、透明感、そして凄みが伝わってくる。写真でしかご覧いただけないのがもどかしい。
 地鉄は小板目鍛えながら所々に杢目と板目が立ち、鎬地には流れ柾目が強く現われる。肌目に沿って地景が入っているためさらに肌が強く感じられ、小板目と大肌とが交じり合って意図せぬ景色を生み出している。焼刃は出入り複雑で、刃の中ほどに沸の帯が流れており、これが沸筋、これに伴って沸のさらさらと流れる風が覗え、これが砂流し。帽子は乱れ込んで先小丸に返るが、繊細な沸の流れを伴っており、火炎のようにも見えるが、時代の上がる相州刀のような激しい火炎とは違ってこれも美しい。

    

刀 近江大掾藤原忠廣

2010-05-01 | 
近江大掾藤原忠廣















 江戸時代初期を代表する近江大掾忠広は佐賀藩鍋島家の工で、初代忠吉と共に新鮮味のある刀の開発を進め、目指すところは鎌倉時代の来派の直刃出来であった。緻密に詰み澄んだ小板目鍛えの地鉄に直刃を焼き、時に乱刃、湾刃なども生み出している。作品が多いことから、出会う機会も多いと思う。出来も総じて優れており、刀を学ぶには良い作者であると考える。
 忠廣の乱刃の数箇所と、直刃の二箇所を例示する。 
 地鉄鍛えは全体が均一な小板目肌を基本とするが、平地中ほどに杢目が交じっているのが、地景によって観察できる。小板目肌に地沸が付いているため、澄んだ地景が躍動的に刀身表面に浮かび上がっているかのように感じられる。この均質な地鉄に微細な地沸、時に地景の交じる地鉄を肥前肌、小糠肌などと呼び、肥前忠吉、忠廣以下肥前刀の特徴と考えて良い。ただし、同様の肌合いは、江戸時代前期の多くの刀工が試みている。
 直刃仕立ての刀の肌目こそ、忠吉が遠く鎌倉時代の山城国来派の太刀を手本として求め、忠廣が完成させたもの。これが故に美しい直刃が生まれるのである。
 刃文は小沸出来の互の目乱刃。大小の互の目が連続し、互の目の頭は丸く、焼の谷に足が入る。互の目の中に葉が一つ入って目玉のように見える。何とも趣のない表現だが、昔からこれを虻の目と呼んでおり、忠廣の互の目の働きの特徴の一つとみている。刃文は小沸と匂の複合で、明るく冴え、刃縁に小沸が叢付くのも特徴。
 刃縁が小沸でほつれている。ほつれとは和紙を引き裂いたような、肌目に沿って現われる働きで、時に金線や稲妻を伴うことがあるも、肥前刀に稲妻は少ない。刃文を構成している小沸は、足となって刃中に広がり、刃先に向かって溶け込むように淡くなる。刃中にはごく淡い匂が広がっており、所々、流れるような微かな働きが観察されよう。
 帽子は小丸返りながら、ふくら辺りにわずかに沸凝りがあり、先にわずかに掃き掛けを伴う。
 直刃の帽子も先がわずかに掃き掛け、小丸に返っており美しい。
 江戸時代、佐賀藩鍋島家では、忠吉、忠廣の政策した刀を大名間贈答品として製作させていた。それ故に美しい作品が多々遺されており、刀はかくも美しいものであるとの見方が定まった見本と言っても良いだろう。しかもよく切れることでも名高いのである。

刀 越後守包貞

2010-05-01 | 
刀の本質を楽しむ
初心者のための鑑賞の手引き

刀が切れる切れない、鉄砲の弾に較べてどうなのか、などという話は別の機会にでもしていただいて、刀の本質美を見て欲しい。こんなに美しいものを、単に道具として捉えるだけで良いのか。なまくら刀でなければ、どんな刀でもよく切れる。切れるのは当たり前で、筆者自身もそれを大前提で刀の美しさを感じとっている。
西洋にも剣があり、綺麗に装飾されて伝えられている。しかし、西洋の剣の場合には外装に宝石をちりばめたり、金細工を施したりしているが、刀身は比較的錆が出ている状態でも平気でいるようだ。時にはクロムメッキなどをしている。日本刀の場合には、外装も綺麗だが、それ以上に刀身そのものの美しさを、すでに鎌倉時代から捉えられていたようで、それが故に刃文や地鉄に刀匠の個姓を見出し尊ぶ意識が古くからあった。日本独特のものである。


越後守包貞












 刀の姿格好については、手にとるまでもなく博物館でも鑑賞ができる。博物館のガラス越しに姿だけを見て刀が如何なるものなのか知ることは、盲人が象を撫でて実体を知覚すること以上に情報が乏しく、そのほとんどを鑑賞していないに等しい結果となっている。即ち、ガラス越しでの刀の鑑賞は、鑑賞ではないと断じられる。
 茶器をガラス越しに眺めるのと同じで、茶器は手にとり、時に茶をいただいてようやくその美しさが理解でき、感じ取れるのである。刀も同様、斬ることはしないまでも、手にとってそのバランスや量感を感じとらねば鑑賞とは言い難い。Webでの鑑賞や説明には、この点で限界があるので、現実の刀を知りたい方は、お近くの刀剣店にて、直接手にとって鑑賞されたい。
 さて、前置きはこの程度にして、まず、比較的分かり易い江戸時代前期の、大坂の刀工の作品から眺めてみたい。刀剣鑑賞について全く分からない方にとっては、比較的理解し易いのが江戸時代の、大坂刀工の綺麗な作品である。
 写真例は寛文頃の越後守包貞の刀。大坂刀工らしい小板目鍛えの地鉄に地景が入って躍動感に満ち、刃文は小沸出来の互の目乱。
 この刀の見どころは、刃中に現われた刷毛目のような沸の流れであり、これを砂流し(すながし)と呼んでいる。地鉄鍛えは小板目肌ながら、刃先よりに柾目があり、これに沸が感応して川の流れのような文様が浮かび上がったわけである。刃文を構成している白い部分が沸で、その中にちょっと黒めの点の連続になる文様があり、これを金筋あるいは金線と呼ぶ。沸は金筋を伴って帯状に連なっているのが沸筋。鋒辺りの焼刃に現われている沸筋や金筋の流れが掃き掛け。
 小板目鍛えが基本ではあるが、地中に網のように地景が現われており、網の一部が杢目となって強く現れているところもある。鎬地の鍛え肌は、この時代には専ら柾目となる。この刀も鎬地柾目が顕著である。
 このような地鉄の様子も鑑賞の大きなポイントである。刀身表面に現われた鍛え肌は一様ではなく、同じ作者のものであっても様子が異なる。自然味ある肌は、時に動感豊かに、時に静かにと、繊細で変化がある。