最後に訪ねた鎧八幡宮は広い敷地の中の神社だった・・昔は少し離れた場所に有って近くまで鎧潟が迫っていたと言う。
ガイドの説明が面白く楽しかった。
資料を見ながら「にわかには信じがたいが・・と書かれていると」面白可笑しく説明が有った。
前九年の役で奥州で反乱を起こした「阿部貞任」を鎮圧する為の源氏がこの地を通り、戦勝祈願に鎧を奉納したのが由来と言われている・・
この近くに「矢島」、「旗屋」って地名が有るけど当時の戦に必要な矢とか旗指物に関連すると言えば辻褄が合いそうだ。
この様に面白く説明してもらうと記憶に残るものだ・・千年も前の出来事を”こうだった”と断定するより、「こんな話として伝わっている」と控えめに言うのがいいんじゃない?、日本人だもの。
*国道が近くに見える田圃の一角に碑が有って、かってここに神社が有ったのだとか。
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