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芭蕉も歩いた細道は古墳と遺跡の宝庫

2015-09-10 07:51:42 | 日記



 昨日、床屋の帰りに「いわむろや」に寄って近くから撮影。
 山沿いに細い道が走っていて、いわゆる昔の「北国街道」なんだが、この細い道は芭蕉が歩いた「奥の細道」の一部でもあるみたい。

 真ん中の建物の両側の山中に古墳や遺跡、右側の集落の入口付近にも遺跡が確認されている。
 奥の山裾にはゴルフ場が有って、越えた所にも遺跡が発見されて北方の人達との交流が確認されている。
 柿団地の造成中に遺跡が見つかったりと、兎に角この辺は遺跡が多い。

 *昨日の新聞で胎内の古墳が日本最北の「前方後円墳」と思われていたけど違っていたと有った・・結果的に近くの「菖蒲塚古墳」が最北となった。
 関西の巨大な古墳ではなくて、上から見渡せる位小ぶりな古墳だけど、この辺まで朝廷の影響力が有ったのかと思うのです。



               



 振り返って撮影すると岩室温泉のホテルが見える・・昔の農道を整備したのでしょう、交差点を右に行くと「間瀬」です。



               



 「いわむろや」へ北海道への土産を買いに行ったのです・・土産と言ってもこれと言ったのが無いのです。
 「岩室せんべい」?うーん?・・で「柿の種」を買ったのです。
 「〆張鶴」の四合瓶も買ったけど、これはフェリーで飲むつもり。

 *古墳の位置は正確では無くて、この辺りと言う事で悪しからず。
 「観音山古墳」・「山谷古墳」・「新谷遺跡」・「御井戸遺跡」等々・・近くの石瀬地区の畑からは今でも土器の破片が見つかるのです。
 農家の人からすれば邪魔者でしか無かったのでしょう?
 素朴な疑問だけど、角田山の麓の何処かに港(船着き場)が有ったのだろうか?
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