
日本さくらそう同好会の会誌「櫻草・第4号」、16ページから、
さくら草同好会が果たした役割
会長は山草会顧問で元市長の故松井計郎氏、
会員も当初は山草会員が主体で、
僅か36名で、
山草会から独立したのは、従来からの役割を一層サクラソウに集中し郷土の花を守ると共に、
江戸時代から伝統的に改良された優雅な園芸種サクラソウを、
桜草祭り期間には、
各駅、公共施設、中央公園に公的展示(昨年は500鉢)やコンクール実施、
会員へ種苗の配給、
希望者への実費頒布などです。
特記すべきことは、
故山草会長岡田実氏の提唱で、
昭和37年に深谷市中瀬の小暮邸に大群生を形成していた野生種(田島種に類似、中瀬紅と命名)を、
市と花いっぱい会が分けて頂き、篤農家長谷川桂司氏の奉仕で繁殖中のものを、
会員の奉仕で毎年2月の早春に株分け鉢植にして、桜草祭会場で希望者に頒布(年平均約2000鉢)、
これが市民の各家庭に入り、田島ヶ原の盗掘防止と、
趣味者の底辺が全国一に広がりをみせて、全国的に高く評価されています。
(太字は中瀬紅についての記述)