いい、おしめりですネ・・・・・・・・

さくらそうの栽培や草もの盆栽を仲間たちと楽しんでいます。日々思うことを気ままに。
野遊び塾の気ままな塾長日記です。

「中瀬紅の話」  中瀬紅は二種類あった。

2012年12月10日 | さくらそうを楽しむ


 埼玉さくらそう会会誌「櫻草・第7号」より。

「座談会 櫻草」平成13年11月4日、

岡村正雄:会ではまだ(配布する)品種をもっていないので東京のさくらそう会に入会して増やしました。次に普及させなくてはと、急激に苗が必要になり白河や中瀬にと分けてもらいにとびつくように車を走らせたものです。そんな時はいつでも長谷川氏に力を借りました。太田氏も熱心だったので職場でもあれこれ計画してました。畑がほしいといって近くて広い長谷川さん宅に植えさせてもらったので一時に増やすことができたのです。何でもたのんでいました。
長谷川:大分古い話になりますが、昭和34年頃東京の園芸家の方が亡くなって孫半斗(まごはんど)鉢を17、8いただき、風車、南京絞、紅女王、隠れ蓑、目白台等があり、それをきっかけに、農家だったので農政課や岡田實さんとの関わりができたのです。その頃花いっぱいの運動が始まり、箱花壇の募集でサクラソウも出していきました。岡田氏と中瀬にも行き、魚用の木箱一杯に何箱も積んで来て、私の畑で低い土地に植えたらとてもよく育ち、二種類あったうち変り種の細弁の方が増えましたね。700芽位あったでしょうか。岡田氏が「中瀬紅」とよぼうと云われたのです。
竹花:私も大久保さんもその他大勢で長谷川さんのところに手伝いに行きました。
 (太文字は中瀬紅に関する発言)

座談会の発言から、
1、「中瀬紅」が二種類あった。
2、細弁が増えた。
「細弁の中瀬紅」と流通している。
コメント
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