先日、ウォーキングをしていたらこんなのぼりを見つけました。
松山第一小学校 創立150周年
ひゃ、ひゃくごじゅう!(p_-)
そしてフェンスの金網には
記念式典開催とそのための寄付募集の張り紙もありました。
それにしても、150周年と言うのはすごい!
わが日差しあふれるヒザシマツヤマ(申松山)注1では、
県立の男子校高校が今年100周年でしたし、
駅前の神社、箭弓稲荷神社に併設するボタン園も今年100周年でした。
そして、小学校はそれらより古く150周年。
現在2023年だから150年前と言うのは、1873年になります。
イヤロッパと覚えさせられた明治維新が1868年なので、
その5年後、明治6年にこの街に小学校ができていたとは驚きです!
検索すると
日本の初等教育の始まりは1872年(明治5年)の学制発布。
1875年(明治8年)には2万を超える小学校が開設され、200万人弱の生徒がいた。
短期間に小学校制度が整えられた背景には、寺子屋の普及が大きい。
幕末にはすでに全国に数万の寺子屋が存在していた。
とありました。1875年(明治8年)には2万を超える小学校が開設され、200万人弱の生徒がいた。
短期間に小学校制度が整えられた背景には、寺子屋の普及が大きい。
幕末にはすでに全国に数万の寺子屋が存在していた。
そういえば、現在の朝ドラ『らんまん』でも、
寺子屋が廃止されて、小学校ができてました。
植物学者・牧野富太郎先生の年表でも
明治7年(1874)、ついに佐川にも小学校ができると、名教館は廃校となった。
とありました。土佐の佐川では明治7年でしたが、埼玉(武蔵)の松山では
その前年明治6年に開校したものすごい歴史のある小学校だったんですね。
お寺の敷地に開校したと書いてありました。
残念ながら、我が子二人は学区違いで別の小学校に通っていました。
そのころは、まだ四国にも松山があることを知らずに
松山第一小学校と命名したんでしょうね。
今年2023年は、
わが日差しあふれるヒザシマツヤマ(申松山)注1は、
そんな区切りの年なんだなぁ
注1)
このブログでは、光あふれるわが町、東松山ヒガシマツヤマを
ヒザシマツヤマという架空の名前として、
ヒザシ・・・日を串刺しということで、「申」の字をあて
ヒザシマツヤマ=申松山としています。
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